"演歌"の域を超えた!
それぞれのストーリーが生まれてくる
音楽にはジャンルがあります。
"自分はどういう音楽が好き"という規則があって、そのジャンル以外を聞かない人も多いでしょう。
ジャズ好きならジャズばかり、クラシック・ファンはクラシックのみ。
でも、時として「ジャンルを超えた名曲」が現れます。
ロックなら「レット・イット・ビー」や「ボヘミアン・ラプソディー」。
クラシックなら「パッフェルベルのカノン」や「G線上のアリア」。
他の音楽に影響を与え、全く違うアートですら刺激します。
八代亜紀の「舟歌」もそのひとつと言えるでしょう。
メロディもアレンジも正統派の演歌なのに、クラシックの指揮者にファンがいます。
ジャズに編曲されたことも少なくありません。
パンクロックのカバー曲にもなっています。
それは、この「舟歌」がジャンルを超えて共通する"ストーリーを持っている"からなのです。
「演歌」から「スタンダード」に
「舟歌」は1979年に発表され、多くの音楽賞にノミネートされたものの、受賞は逃しました。
ところが翌年以降、時間を追って人気が高まり、映画やエッセイなど音楽以外の分野にたびたび引用されました。
1981年に公開された映画「駅 ステーション」では、「舟歌」が極めて重要なキャラクターとなります。
主人公の高倉健が、相手役・倍賞千恵子の経営する居酒屋で酒を飲むシーンです。
傍らのテレビに紅白歌合戦が写り、画面には「舟歌」を歌う八代亜紀。
しんしんと降る雪が戸口に見え、二人が「舟歌」の歌詞に聞き入ります。
「この歌、好きなの、私」
倍賞千恵子が漏らすこのセリフ。
脚本家・倉本聰が個人的に「舟歌」を好きというだけでなく、是非とも使う必然があったといいます。
「聞くだけで、誰にでも共通する"人恋しさ"が心に沁みわたる」
倉本聰は、「舟唄」をカラオケで楽しむ類の"演歌"として使ったわけではないのです。
これはもう、スタンダード・ナンバーと言わざるを得ないでしょう。
巨匠・阿久悠の会心作
スライドショーの技術
では、脚本家に「人恋しさが表現できる」と言わせた歌詞を見てみましょう。
お酒はぬるめの 燗がいい
肴はあぶった イカでいい
女は無口な ひとがいい
灯りはぼんやり 灯りゃいい
しみじみ飲めば しみじみと
想い出だけが 行き過ぎる
涙がポロリと こぼれたら
歌い出すのさ 舟唄を
沖の鴎に深酒させてヨ
いとしあの娘とヨ 朝寝する ダンチョネ
出典: 舟歌/作詞:阿久悠 作曲:浜圭介
歌詞は物語の筋書きではなく、風景を切り取っただけ。
1行1行が、まるで写真です。
居酒屋をめぐるシーンが重なって、ひとつの状況となります。
スライドショーのプレゼンテーションを見るかのようです。
これが効果的であるためには、それぞれの行が詩的でなければなりません。
さらにはそれらを貫くストーリーが必要です。
状況の中で、主人公(聞いている人)の想いがつのり、涙がこぼれます。
思わず出てきた「ダンチョネ節」。
実は、歌詞すべてが、かつての恋人への思慕なのです。
なぜ"ダンチョネ節"なのか?
演歌には設定として「港町」が良く登場します。
「舟唄」も、歌詞を見る限り"窓から港が見える居酒屋"のようです。
でも、状況描写があっても主人公の様子は判然としません。
主人公が男なのか女なのかすら、良くわかりません。
かつての恋人を思い出しながら、盃を傾けているのでしょうか?
さらには、どうして「ダンチョネ節」が出てくるのでしょうか?
ダンチョネ節を使ったわけ
店には飾りが ないがいい
窓から港が 見えりゃいい
はやりの歌など なくていい
時々霧笛が 鳴ればいい
ほろほろ飲めば ほろほろと
心がすすり 泣いている
あの頃あの娘を 思ったら
歌いだすのさ 舟唄を
ぽつぽつ飲めば ぽつぽつと
未練が胸に 舞い戻る
夜ふけてさびしく なったなら
歌いだすのさ 舟唄を
ルルル・・・
出典: 舟唄/作詞:阿久悠 作曲:浜圭介