アニメ「双星の陰陽師」とは
「双星の陰陽師」(そうせいのおんみょうじ)は、ジャンプスクエアで2013年12月から連載されている漫画です。
作者は助野嘉昭(すけのよしあき)氏。2015年12月より、スタジオぴえろでアニメ化されています。
ストーリー
現代社会の裏側に存在する「禍野(マガノ)」。そこにはバケモノ「ケガレ」が巣食っています。
それを祓い清めて人々を守る。それが陰陽師の仕事です。
少年陰陽師焔魔堂ろくろ(えんまどうろくろ)は、才能がありながらも陰陽師として歩むことを拒絶していました。
その原因は「雛月の悲劇」と呼ばれる惨殺事件を目の当たりにしたトラウマでした。
そんな彼をさげすんだ目で見ていた化野紅緒(あだしのべにお)。
ところがある日、二人は神託により最強の陰陽師夫婦に与えられる「双星」の称号を得ることに。
最初は足並みのそろわない二人ですが、強さを熱心に求める紅緒の姿を見て、ろくろは自分の過去と向き合うようになっていきます。
幾多の戦いに身を投じる中で二人の絆が芽生えていき、やがて二人は「双星の陰陽師」として巨大なケガレへと立ち向かっていくのです……。
OPを手掛けるのはイトヲカシ
現在人気上昇中の2人組アーティストグループ・イトヲカシ。
メンバーは、ヴォーカルの伊東歌詞太郎と、ベース・ギター・キーボード等なんでもござれの宮田”レフティ”リョウ。
ニコニコ動画の「歌ってみた動画」を始めとして、様々なアーティストへの楽曲提供、サポートミュージシャンなどの活動をそれぞれに行っています。
バンド活動においては顔出しをしないという方針を固く貫いており、二人の顔が見られるのはライブの時だけ。
そんなミステリアスな魅力に満ちた二人ですが、ファンライクな面も持っており、ライブ活動も積極的に行っています。
動画サイト中心の活動の中で、「自分たちの歌が本当にファンに届いているのか?気持ちが届いているのか?直接歌と感謝を届けたい」という気持ちが強まった二人。
ライブになかなか行くことができない首都圏以外に住んでいるファンへ、自分たちから会いに行こうと路上ライブツアーを敢行。
2年かけて全都道府県でのライブを達成しています。
タイ・シンガポール・フランス・オランダでの世界路上ライブツアーも行っており、シンガポールでは2回フェスティバルに出演するなど、精力的に活動しています。
歌詞はこちら
綺麗なものばかりが正しいはずじゃないし
重なっては離れて
傷つけあった二人
もう一度行こう
例えば誰かに寄りかかって
同じ景色を見て笑い合う
そんな毎日が そんな毎日が
僕は欲しかったんだ
綺麗なものばかりが
正しいはずじゃないし
汚れた僕は今日もまた
出典: カナデアイ/作詞:伊東歌詞太郎 作曲:伊藤歌詞太郎
一緒にいれば、喧嘩をすることだってあります。
傷つけあってしまっても、また二人で歩みだせる。そんな関係っていいですよね。
二人で背中を預け合って、同じ景色を眺めて笑い合える。それは何気ない日常だとしても、かけがえのない一瞬です。
このアニメのストーリーでは、突然神託によって二人が夫婦になるように言われてしまいます。
しかも毎日生死をかけた戦いをしながら生きる陰陽師の二人。
なかなか互いを理解し合えない、ましてや恋愛感情なんて…。
そんな中でも、「綺麗なものばかりが正しいはずじゃないし」と自分を励ますような「僕」の歌詞が胸に刺さります。
決して綺麗で理想的な恋愛ではなくても、二人は固い絆で結ばれている。
そんなストーリーを思わせる絶妙な言葉選びですね。
君の言葉心温もりだけ胸に抱いたままで
夢の先の先へ終わりのない旅を続けていく
君の言葉心温もりだけ胸に抱いたままで
重なっては離れて
傷つけあった二人
もう一度行こう
出典: カナデアイ/作詞:伊東歌詞太郎 作曲:伊藤歌詞太郎
主人公のろくろは、過去のトラウマから一度夢を諦めています。
けれど、紅緒の「強くなりたい」というひたむきな姿に心を打たれ、また夢を追い始めるのです。
紅緒の言葉、心、温もりを胸に抱き、終わりのない旅を続けていく。
時々反目しあうことがあっても、また二人でなら歩き出せる。
どちらからともなく「もう一度行こう」と言って、挫けても何度でも立ち上がれる。
二人はそんな関係になってゆくのでしょう。
信じ続けられたら
何度も何度も確かめ合って
そばにいても不安になって
そこにあるものを 確かにあるものを
信じ続けられたら
言葉の奥の方に本音(ココロ)があるというが
伝えた言葉全てさ
出典: カナデアイ/作詞:伊東歌詞太郎 作曲:伊藤歌詞太郎
いつも隣にいるはずの相手。
けれどもどうしても不安になってしまう時があるものです。
まだ二人は発展途上。信じ続けることも、いつかはできるようになるはずです。
だから言葉を尽くしてココロを伝える。
不器用でも、うまくいかなくても、自分の中にあるすべての言葉を尽くして、ココロを分かり合う。
それは愛と呼ぶにはあまりにも幼いやりとりだけれど、いつか本当の愛に変わっていくのでしょう。