オノマトペが使用されながら抽象的に描かれています。
ここの歌詞はまさに心の中に蔓延る無数の煩悩を表現していると解釈します。
あらゆることと自分を比較しては嘆いている。
そして、注目すべきは歌詞4行目に「きっと」という表現がなされていることです。
これは自分が今手にしていないからこそ発される言葉。
小さな自分からすれば歌詞3行目に描かれていることは「憧れ」といえるのです。
まだ生きたい
地面の色を見て歩く
水溜りのない場所 選んでる
さては 不遇な道を逸れるため
自己防衛だってするんでしょう
出典: 泥中に咲く/作詞:針原翼 作曲:針原翼
嫌なことや失敗を経験しないように生きようとする。
それは人間誰もが思う普遍的な思考と行動です。
たとえ、今までの人生が「死」ほどの辛いものだったとしても変わらないといっています。
無感情になって何もしなくなるのではなく、必死に受ける痛みを減らそうとしているのです。
人間にとって自分を守ることが出来なくなればそれは生きているとはいえません。
よってまだ生きようとしていると解釈できます。
自分を受け入れる
完璧でなくとも
僕は今 人間です
今日も明日も その次の日も
認めるのは そのくらいでいい
みんな別々の息を食べてる
出典: 泥中に咲く/作詞:針原翼 作曲:針原翼
生きている私たちを全肯定してくれるような歌詞です。
パーソナリティが違えど、短所があれど、同じ人間には変わりない。
それだけを考えて、他に想い憂うことなんて何1つ無いといっています。
そして注目すべきは歌詞4行目の「食」という表現。
息に対してこの表現が使用されていることで以下のようなイメージが湧き上がります。
私たちは、どこか必死に貪欲に生き延びようとしているのです。
一度立ち止まることも大切
そう 君も今 人間です
その姿が嫌いなだけで
憎めないよ 優しいから
君は誰の為にも願う人
出典: 泥中に咲く/作詞:針原翼 作曲:針原翼
幾ら自分の容姿や形に嫌悪感を感じたとしても変わらないものがある。
それは、まさに自分の心だといっています。
他人の心を汲み取って、どこまでも純粋に生き続けるその姿。
そんな心があるだけで十分なんだといっているように解釈出来ます。
いつしか私たちは必要以上に焦らされて何かを得ようとしているのではないでしょうか。
思考は暗く
無に帰す
ひとひらの花が散るために
水も土も光も その種も
僕の目の前にあるものが
その意味も過去も未来も
出典: 泥中に咲く/作詞:針原翼 作曲:針原翼
ここでは全ての物事が最終的には意味をなさないといっています。
その無常さと喪失感を花の成長過程に比喩しています。
生きるために藻掻いてきたものはいつか死んで無に帰る。
その中で生きている人間とは何なのかと問いかけているようにも解釈出来ます。