日本中央競馬会JRAのCMソングに起用

一青窈【影踏み】歌詞の意味を徹底解説!僕と君の関係性とは?互いを想う優しい感情から伝わることとはの画像

一青窈の「影踏み」は、日本中央競馬会JRAイメージソングに起用されました。

その前には「ハナミズキ」が同じ企業のイメージソングとして起用。

「影踏み」が2回目の起用です。

一頭の馬が、調教師の元で競走馬として育てられ、G1で優勝するほどの名馬となる。

騎手を乗せて力強く走り切る姿は、多くの競馬ファンを魅了させたことでしょう。

名馬が歳を重ね競走馬としての役目を終えた後は、種馬として次の人生をスタートさせます。

そんな名馬の歩む人生が、一青窈の「影踏み」の歌詞と重なる部分があるのでしょう。

この曲が日本中央競馬会JRACMに起用された当時は、多くの競馬ファンからも支持されました。

とても多くの人々から愛され、今でも名曲として記憶に残る一曲が一青窈の「影踏み」なのです。

背中を押してくれていたのは天国にいる母

義務教育を卒業する主人公

卒業したら
じぐざぐの前髪
少し揃え、

出典: 影踏み/作詞:一青窈 作曲:都志見隆

ここでは、義務教育を終え社会人としての人生を歩み出す主人公が描かれています。

「卒業」とは、中学校を卒業したことを意味しているのでしょう。

これまでは身だしなみなどほとんど気にせず過ごしていた主人公。

しかし、社会人として生活をスタートさせるなら、身だしなみにも注意が必要になります。

周りから見られるということを意識し出す年齢になったという意味も含まれているでしょう。

主人公が乗り越えてきたもの

ママからの手紙で
2回泣きそうになった。
嘘でも天の川で
一年一度の約束したい

出典: 影踏み/作詞:一青窈 作曲:都志見隆

主人公の母親はもうこの世にはいないようです。

歌詞の中に出てくる「2回」という数字。

これは多いのでしょうか、少ないのでしょうか?

きっとこれでも少なくなったという時間の経過や成長の意味が込められているのでしょう。

母親を亡くしたばかりのころや、幼少期のころはきっとずっと泣いていたのです。

手紙も読むたびに数えきれないほど泣いていたのでしょう。

けれど、今は主人公も成長し、2回で済むようになった

全く泣かないというのはまだ無理だけれど、回数は減ったといいたいのです。

それだけ主人公の中で、母親の死をやっと受け入れられたということなのでしょう。

母親はもうこの世にはおらず、になってしまった。

泣かない代わりに、天の川が流れる年に一度の日だけは、会わせてほしい。

それを励みに頑張れる気がするから、でもいいから約束してね、と伝えているのです。

切なくも健気に生きていこうとする主人公のきもちが伝わってくる歌詞でしょう。

母親がいないという事実がもたらしてくれたもの

いないときも頑張れたことが
今になって自信になって

出典: 影踏み/作詞:一青窈 作曲:都志見隆

主人公は、母親がいないことをバネにして何事にも励んできたのでしょう。

きっと迷ったり、不安になったりしたこともあったはずです。

そのようなときは母親に話を聞いて欲しい、励まして欲しいと思っていたでしょう。

しかし母親はおらず、頼れない現実

「母親がいないから、かわいそうだね」といった言葉をかけてくる人がいたのかもしれません。

けれど主人公は、母親がいないからという理由でできない人間にはなりたくなかったのでしょう。

母親がいないからこそ、そのことで引けを取らないように頑張ってきたのです。

その結果、気づけば自分はどんなにつらくても乗り越えていける。

努力すれば大丈夫、といった自信につながっていたのでしょう。

主人公を一番理解しそばにいてくれた「君」

「君」は幼馴染

気づいてみたら
たくさんの人に囲まれてた
君が僕を信じてる

出典: 影踏み/作詞:一青窈 作曲:都志見隆