この歌詞を「ある二人の物語」で読み解いてみます。

主人公が横浜の横浜の女子短期大学保育科に通っていたころ、横浜で彼と出会いました。

老舗の和菓子屋の一人息子さんで、跡継ぎだった彼と出会ったのは、良く通ったお店でした。お母さまは、笑顔が素敵な評判のおかみさんでした。

彼は、私より3歳上の温厚な人でした。背が高く、サマースポーツが好きな人でした。自然とお互いが、惹かれあいました。 

私の家は、栃木県足利市で、父と母で「天ぷら屋」を開業して20年になります。元気だった母が、卒業の年に「脳梗塞」で倒れてしまったのです。 左半身不随になり、お店の事も充分に手伝えなくなったのです。 私が足利に帰り、母のリハビリの手伝いとお店の手伝いをしなければならなくなりました。 彼は、休みのたびに、電車に乗って来てくれました。母を必ず見舞ってくれました。うれしかったし、心の支えでした。

母は、リハビリの結果、簡単な食事は作れるようになったけれど、週3回のリハビリの継続が必要でした。

ある日、仕事が終わって、父と母が話があるというのです。

「お前、お嫁に行ってもいいんだぞ。彼は、いい人だ。きっと幸せになれると思うよ。親の犠牲になる必要はないぞ!」母は涙を流し、父の目も真っ赤でした。

私にとって、一番つらい話でした。一番触れてほしくない話でした。

勿論、私は、彼を愛しています。別れたくありませんでした。 

そして、時が過ぎ、3年の時間の経過の中で、少しずつ自分の心の決断を迫られてきました。

彼が、こちらに来て住むことは出来ません。私が、お嫁に行ったら、これから父と母はどうやって生きて行けばいいのか? 

何日も考え続け、私がお婿さんを迎えればいいと思いました。幸い、お母さんの体調も良くなってきて身の回りは自分でやれるようになって来ました。

私は、彼への別れの長い手紙を書きました。 「渡良瀬橋」の歌詞を「主人公」の視点で解釈してみます。


①「夕日」

渡良瀬橋橋で見る夕日を
あなたはとても好きだったわ
きれいなとこで育ったね
ここに住みたいと言った

出典: https://twitter.com/marinamiries/status/918516126170079232

あなたが、来てくれるたびに、いろいろなところを回ったわ。足利は、本当にきれいな街だ。ここに住みたいと何度も言ってたね。ここの夕日が本当に好きだ!って。

私が手紙を書いて、あなたはすぐ飛んできてくれたね。二人で、抱き合って泣いたね。何度話しても、最後は、黙って泣いてたね。 あの日、あなたは言ったわ。“これでお別れにしよう。もう連絡はしない。話し合って、別れることは出来ない。”

あなたの前で、私は、泣かなかったわ。”崩れてしまうから。”

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② 「慕情」

電車にゆられこの町まで
あなたは会いに来てくれたわ
私は今もあの頃を
忘れられず生きてます

出典: https://twitter.com/marinamiries/status/918516126170079232

まだお付き合いをしていたころ、本当によく会いに来てくれたわ。私は、駅で身を乗り出して、電車から降りて来るあなたへ手を振り続けたわ。

ただ、歩いたわ。あなたの手の腕にすがり、あなたの優しい手が肩を抱いてくれたわ。

何を話したのか何にも覚えていないのに、ただ幸せでした。あなたの存在を忘れられずに生きています。

③ 「祈り」

今でも 八雲神社へお参りすると
あなたのこと祈るわ
願い事一つ叶うなら
あの頃に戻りたい

出典: https://twitter.com/hannarihiyoko/status/609271846060474368

あなたとたどった道を今も歩いています。 もう一度、たった1日でいいからあの日に戻りたいのです。

④ 「公衆電話」

床屋の角にポツンとある
公衆電話おぼえてますか
きのう思わずかけたくて
なんども受話器とったの

出典: https://twitter.com/flowerthief7/status/846393212344283136

あの公衆電話今も残ってますよ。 あの頃のあなたの声が聞きたくて、十円玉を入れずに受話器を取りました。

⑤「北風」

この間 渡良瀬橋川の河原に降りて
ずっと流れ見てたわ
北風がとても冷たくて
風邪をひいちゃいました

出典: https://twitter.com/flowerthief7/status/846393212344283136

渡良瀬川は、思っていた以上にきれいです。 川の水の流れに乗って、「あなたへの感謝の思いよ、届け!」と祈りました。