平成初期を彩ったレトロな名曲

「たま」に対して「ミケ」?

Mi-Ke【想い出の九十九里浜】歌詞を解説!あなたはいくつわかる?グループサウンズの曲名が歌詞に登場の画像

想い出の九十九里浜」はアイドルグループ、Mi-Keのデビューシングルです。

1991年2月14日にリリースされました。

当時は平成3年。テレビ番組「イカす!バンド天国」、通称イカ天によるバンドブームの時代でした。

そのバンドブームの中から生まれた大ヒットがたまの「さよなら人類」。

オリコン1位を獲得し、紅白歌合戦に出場するなど一躍話題になりました。

Mi-Keがデビューしたのはそんな時代です。

「たま」がヒットしていたのでMi-Ke(ミケ=三毛)と名付けたと言われています。

「想い出の九十九里浜」は昭和のにおいを感じさせるレトロな曲です。

メロディーは60年代の歌謡曲、例えばザ・ピーナッツなどの雰囲気があります。

「想い出の九十九里浜」はデビューシングルにしてオリコンチャート最高5位を記録します。

Mi-Keはこの年の日本レコード大賞新人賞日本有線大賞新人賞などを次々と受賞。

そして第42回紅白歌合戦にも出場し、お茶の間の人気者となっていくのです。

Mi-Keのデビュー曲にして代表曲である「想い出の九十九里浜」について、さらに詳しくご紹介します。

作詞作曲はビーイングの大御所

数々の名曲を手掛けたコンビ

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「想い出の九十九里浜」の作詞を担当したのは長戸大幸です。

音楽プロダクション「ビーイング」の創設者であり、音楽プロデューサーとして活躍しています。

彼が手がけたアーティストはTUBEZARDWANDS、T-BOLAN、大黒摩季などなど、そうそうたる顔ぶればかり。

90年代前半は特に、ビーイングのアーティストが数多くデビューし、ヒットを量産していた時代でした。

長戸大幸はそのほとんどのプロデュースを担当していたのです。

長戸大幸と共にビーイングの創立にかかわった作曲家が織田哲郎です。

「想い出の九十九里浜」も彼の作曲です。

90年代に多くの曲をヒットチャートに送り出し、当時は小室哲哉と並ぶヒットメイカーでした。

B.B.クィーンズの「おどるポンポコリン」、ZARDの「負けないで」「揺れる想い」なども彼の作曲です。

中山美穂&WANDSの「世界中の誰よりきっと」、相川七瀬の「夢見る少女じゃいられない」などもです。

ピーク時は彼の作曲した曲の売り上げ枚数が1年間で1000万枚を超えるほどでした。

そんな、時代を席巻したビーイングの中でも異色のアイドルとしてデビューしたのがMi-Keだったのです。

歌詞を紹介!

苦いあの夏を思い出す

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それでは「想い出の九十九里浜」の歌詞を見ていきましょう。

レトロ感たっぷりの仕掛けがたくさんある歌詞になっています。

別れたあの夏を
忘れられないの
出逢ったそのときに
この胸がふるえたの

ずいぶんなこのみネって
人は云うけれど
これでも私には
高望みの方だわ

出典: 想い出の九十九里浜/作詞:長戸大幸 作曲:織田哲郎

主人公は女性です。

彼女には恋人がいたのでしょう。

別れたのは夏でした。その夏のことを今も忘れられないでいるのです。

つらい別れであればあるほど、その記憶は心に残るものなのだと思います。

彼女にとっては出会った瞬間の恋でした。

一目ぼれと言ってもいいでしょう。

しかし周囲からは何であの人と?といぶかしがられます。

人の好みはそれぞれですが、彼女の好みは理解されなかったようですね。

しかし周りが何と言おうとも、恋してしまったが最後。

彼女の想いは彼に向かって一直線なのです。

そして彼女は自分のことを低く評価しているようです。

ずいぶんな好みね、と言われていても彼女にとっては過ぎた相手なのです。

パロディセンスが光る

グループサウンズの曲名が次々登場

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ああ 九十九里浜
夕陽が泣いている
(パヤパヤ)
君だけに愛を と
花の首飾り
好きさ好きさ好きさ
ああ 神様お願い

出典: 想い出の九十九里浜/作詞:長戸大幸 作曲:織田哲郎