如何でしょ あたしのダンスダンスダンス
ねえどうでしょ? それなりでしょ?
一人きり 見よう見まねで憶えたよ 凄いでしょ?
出典: でしょましょ/作詞:米津玄師 作曲:米津玄師
淡々とした曲調で始まり、唐突でそれでいてどこかもの悲しく展開されるイントロです。
暗い闇のストーリーへと誘い寄せられるような感覚に陥ります。
「ダンス」とは振る舞いや生き様を顕しているのでしょう。
ともすれば、それ自体何でもよいのかもしれません。
とにかくあなたに見てほしい、笑ってほしい、褒めてほしい、とおねだりをしているようです。
もっと言えば、認めてほしい、受け入れてほしい、そしてもっと自分に関心をもってほしい。
自我の欲求を満たし、傲慢な人間の断片を切り取ったのだとうかがえます。
独りぼっち...
イントロでのキーワードは、欲しがるという私利私欲に傾いているということです。
「でしょ」と優しく訴えかけている様子。
それは逆に求めることで同意や同調を強要していることを助長しているようです。
まさにこのご時世、理性を失い「評価」や「既読」、「いいね」などで一喜一憂する有り様を揶揄しているのでしょう。
孤独な仮想の世界に依存しながら生き、本来の意味が欠如していると言っているのかもしれません。
自己満足や、自己中心的なもので形成されている現代社会を如実に示しているのです。
独りぼっちだけど思いつくことを工夫して、調べられる限りは全て尽くしたの。
だからもっと、「あたし」を必要としてよ。
それこそ他人を蹴落としてでも生産性が求められ、評価されるこの時代です。
自分には、これ以上一体何が出来るのだろうか?と自問自答しているようにも感じとれます。
他人事ではない世の中
「異様な世界」に警鐘を
異常な世界で凡に生きるのがとても難しい
令月にして風和らぎ まあまあ踊りましょ
るるらったったったった
出典: でしょましょ/作詞:米津玄師 作曲:米津玄師
姿が見えない非現実的な領域で、SNSという武器を振りかざす現代社会。
言葉という暴力でしか、自我の欲求を満たすことができない世を「異常な世界」だと表現しています。
少しでも自己主張をすれば集団で誹謗中傷され、挙句徹底的に叩きのめされる昨今です。
何の変哲も無く生きている日々。
自分がいつ被害者に、また加害者にも容易に一転してしまう世の中だといっているのでしょう。
傍観者にも関わらず、猫も杓子もコメンテーター気取りの世の中を憂いでいるのかもしれません。
正義感という名の下劣で辛辣な言葉が飛び交い、罵ることである種の快楽と充実感を得ているのです。
ザワつく風
「風和らぎ」は逆説的な比喩表現で、その世界でしか生きられない者に対し警鐘を促しているのでしょう。
万葉集からの一節を引用されたと考えられる「令月」は、令和という元号を意識しています。
令和という時代に突入し、相変わらず繰り返される事件や事故を「異常な世界」だと比喩表現しているのです。
ではなぜ、「まあまあ」という曖昧な表現をあえて用いているのか?
その無作為に振り下ろす武器を収め気持ちを鎮めろ、一旦落ち着き頭を冷やせと宥めているのでしょう。
夜道を手探りで突っ切る
「異常な世界」に手を貸している
獣道 ボロ車でゴーゴーゴー ねえどうしよ? ここどこでしょ?
ハンドルを手放してもういっちょ アクセルを踏み込もう
出典: でしょましょ/作詞:米津玄師 作曲:米津玄師
さらに狂気感が漂い、その雰囲気が迫ってくる世界観です。
背すじが凍るような恐怖すら覚えてしまいます。
行き先が見えず、どこに向かっているのかさえ見当もつかない社会的風潮を懸念しているのです。
先が真っ暗な棘の道でも躊躇せず突っ込んでしまえ。
「ここどこでしょ?」は自制心が崩壊し、今生きている世の中が狂乱の世界だと認識していないのです。
己のことすらコントロールを失っている者が、無謀にもそれ以上は踏み込んではいけない。
何事でも他愛もなく調べられ、いつでも誰かに「ねえどうしよ?」と確認できる便利な時代です。
「ハンドルを手放して」とは、自分が責任を負担しなくても誰かが後始末してくれる事を指しています。
自分1人では何も決められず、他人へ委ね責任転嫁をするような世の中を嘲笑っているのかもしれません。
姿を見せない領域で、自分の居場所欲しさで陰に隠れ「異常な世界」に加担していることに気づいていないのです。