GADOROの3rdアルバムからの1曲
本日紹介する「I'm sorry」はGADOROの3rdアルバム「SUIGARA」に収録されている1曲です。
GADORO(ガドロ、1990年11月29日 - )は、宮崎県児湯郡高鍋町出身のラッパー。
出典: https://ja.wikipedia.org/wiki/GADORO
第1連
通常、楽曲の歌詞は「1番」や「Aメロ」「サビ」という分け方で解説しています。
しかし今回は、あえて「詩」の用語である「連」を使うことにしました。
というのも、歌詞の半分は「ラップのリリック」なのです。
なので「連」のほうがこの歌詞にはしっくりくる気がしました。
なお、第2連の歌詞は、第1連、第3連、第4連、第5連のあとに毎回挿入されます。
紙面の都合で、第2連の解釈は第1連のあとの部分だけにさせていただきました。
あらかじめご了承ください。
何かを示唆する「長文」
Facebookに羅列されるまるで遺言のような長文
おそらく全て悟ってたそれでもその笑顔振りまいてた
死ぬのは怖くないけれど忘れられるのが怖いと言ったお前
心配ない覚えてる、つうかこの1ヴァースは届いてる?
出典: I'm sorry/作詞:GADORO 作曲:熊井吾郎
Facebookで見かけた長文。
TwitterでもInstagramでもあるいは一般的な「SNS」でもなく、Facebookにしたことには意味があります。
Facebookは原則として実名で交流するSNSです。
そして「フレンド」という関係を大切にしつつ、全体に公開することでフレンド以外も見ることができます。
さらに「シェア」という機能でより多くの人に読まれる場合がある、というのも特徴です。
ただこれだけならTwitterやInstagamでも良いですが、この2つにはない特徴がFecebookにはあります。
それは「長文」を掲載できるということ。
しかしこれを「ブログ」で書いてしまうと、読んで欲しい人には届かない可能性がある。
つまり長文を書いた人「お前」はFacebookのフレンドに向けて書いたということになります。
しかもその内容はまるで遺言のようだった、と…。
その後も「死」など、なかなか穏やかではない言葉が並びます。
「お前」には、ある覚悟があったようです。
ところで「ヴァース」という言葉を恥ずかしながら最初わからなかったので調べました。
Aメロは洋楽におけるverse、Bメロは洋楽におけるbridgeの概念に近い。「メロ」は「メロディ」の略。
出典: https://ja.wikipedia.org/wiki/Aメロ
「ヴァース」は音楽用語で、いわゆる「Aメロ」のことです。
つまり、いま歌っているこの曲のまさにこの部分。
「お前」に、この歌の主人公は語りかけているのです。
そして、この語りかける相手にこの「ヴァース」が届いていない可能性も示唆されます。
何故届かないのか
どうして君のような人が散り、どうしてあのような人が生きる
くだらない、分からない、やっぱり神様はいない
冷たい雨の中忘れない君をまだ
写真の中君はただ笑う
出典: I'm sorry/作詞:GADORO 作曲:熊井吾郎
「散る」とはすなわち「死」を意味します。
しかし、この「君」は「第二の人生を歩み始めた」ともいえます。
どういうことでしょうか?
「人は二度死ぬ」という言葉があります。
一度目はまさにこの歌詞に書かれている「散る」とき。
そして二度目は、この主人公のように「君」のことを語る人が誰もいなくなるときです。
ところで、この「君」の命は何故散ってしまったのでしょうか?
事故だったり、あるいは自分で命を絶ってしまったり、色々可能性はあります。
歌詞を読むと「病気で亡くなったのかもしれない」と思いつつ…。
YouTubeのコメント欄のやりとりを見ると、白血病で亡くなった方と関係があるそうです。
「君」が何故死ななければならないのか?
もっとふさわしい人もいるんじゃないか?
この理不尽さに憤りを感じ、そしてもう会えない「君」への気持ちを語る主人公。
「君」の笑顔はもはや写真でしか見られないと思うと、切ないですね。