限界は自分のためのものだった
誰かのこと 想う気持ちが こんなにも僕に力を与えるなんて
限界っていうセリフを盾に やり過ごしてた日々 今では嘘のようだ
出典: ラストシーン/作詞:スキマスイッチ 作曲:スキマスイッチ
「限界っていうセリフを盾に」というのは、限界という言葉を言い訳にしてという意味です。
いつも他人との人間関係や競争の中で、これが自分の限界と簡単に物事を諦めてきました。
もう限界だと思って諦めても、誰が文句を言うわけでもありません。
少しの敗北感や挫折感を味わうくらいのものだったから。
でも、僕には守るべき子供がいる。
そう思うだけで、信じられないくらいに頑張ることができます。
力を引き出してくれた子供への感謝の気持ちで一杯です。
父になって知る「生きる意味」
大きな夢をもって欲しいから
萎れたままで放っておいた夢が
君を伝って また息吹き出す そして生きる意味を知る
出典: ラストシーン/作詞:スキマスイッチ 作曲:スキマスイッチ
「萎れたままで放っておいた夢」とは、小さい頃あるいは学生の時に抱いていた夢のことです。
野球選手、小説家、デザイナー、ミュージシャン、いろいろな夢があったはずです。
そうした夢を実現できる人はごく稀で、競争や評価を経て、現在の状況に至るわけです。
子供が持っている無限の可能性に、父親は期待を膨らませます。
自分が果たせなかった夢を成し遂げてくれるのではないかと。
そして、そうした期待は自分にもかけられていたことを実感します。
子供に夢を託すと同時に、自分もまた夢に向かってをもう一度踏み出すべきだと。
それは子どもの頃に見た夢とは少し形は違うけれども、決して遅くはない。
こうした夢を実現させようとする連鎖が脈々と続いてきたことを知るわけです。
今まであまり意識してこなかった生きることの意味が次第に明らかになってきます。
気が遠くなりそうな生命の連鎖の中で、次の生命にバトンを渡すことの尊さ。
親から子供へというバトンリレーは、次の世代全体へのものでもあることにも気がつきます。
父親の背中
一人の人間として僕を見続けて欲しい
この胸の鼓動に 不器用な愛を乗せて
叫び続けることしか出来ないけれど
一部始終を君に ただ偽りなく見せたい
僕の背中 君の瞳に どう映りこむかな
出典: ラストシーン/作詞:スキマスイッチ 作曲:スキマスイッチ
生まれたての子供を持った父親というのは概して不器用なものです。
泣き叫ぶ子どもを前に何をしてよいかわからずおろおろする父親。
でも子供への愛情は誰にも負けません。
大声で叫びたいくらいに強い愛情です。
毎日、僕たち家族が生きるために、仕事や家事に忙しく働く姿を見て欲しい。
そして、子供と遊んでいる時のメチャクチャ張り切りすぎの僕。
疲れてだらしなく床に寝転がっていびきをかいている僕。
かっこ悪くて、ダサくて、情けなく見えるかもしれませんが、これが父としての僕です。
君の目にどう映っているかはわかりませんが。
子供に託す想い
記憶の中に生き続ける父
どんな映画も 「終」はある
でも記憶の中で生き続けていく
出典: ラストシーン/作詞:スキマスイッチ 作曲:スキマスイッチ
この楽曲「ラストシーン」のコア・フレーズです。
映画の「終」、つまり「ラストシーン」とは、「父としての死」にほかありません。
この世界に君(=子供)が生まれてからの、かけがえの無い時間、人生。
僕の命が燃え尽きて、叶えられなかった夢やたくさんの想い出を抱えたまま僕はいなくなる。
しかし、子供の記憶の中では確かな存在として「父」は生き続けます。