テレサ・テンを聴かされて育ちました
ぼくの父はテレサ・テンが好きでよく聴いていました。
父と過ごす時間はあまりなかったのですが、たまに一緒に出かけるとカーステレオでテレサ・テンを流すんですよね。
確かカセットテープでしたよ。行きも帰りもテレサ・テン。年端も行かぬガキでしたからちょっぴりウンザリでした。
でも今思えばぜいたくな時間だったと思います。
それにしてもテレサのどこが良かったんだろ?顔かしら?声かしら?両方かしら?
普通にテレビで歌ってた
今でこそ「伝説の歌姫」と呼ばれ、神格化されたテレサ・テン。
ぼくが子どものころ(80年代中頃~後半)、テレサ・テンは歌謡番組の常連でした。
NHKウォッチャーだった我が家は(今もNHK党です)、毎週火曜の歌謡番組(ダジャレじゃありません)を観るのがお決まり。
父親のカーステレオに加え、テレビからも流れてくるテレサの声を、シャワーのように浴びて育ったわけです。
理屈抜きで洗脳されました。良いも悪いも好きも嫌いもありません。幼少期に触れた音楽ってそういうものじゃありません?
テレサ・テンの絶頂期
ぼくがそんな環境で育ったのも無理からぬことです。1980年代はテレサ・テンの絶頂期でしたから。
1984年から1986年にかけ、『日本有線大賞』および『全日本有線放送大賞』の東西有線大賞で史上初の3年連続大賞・グランプリを受賞。
出典: https://ja.wikipedia.org/wiki/テレサ・テン
「東西有線大賞」は、東京の有線放送大賞と大阪の有線放送大賞の両方を指します。
つまり東京でも大阪でも、ということは日本全国どこへ行っても、テレサ・テンは夜の街の顔だったのです。
歌謡番組や演歌番組で歌われるのは、有線の人気曲が多いですしね。当時の父の年代を考えてもストライクですよ。
それこそクラブやスナックのママさんは、毎晩毎晩歌いまくったことでしょう。今でも歌ってるんじゃないかな?
「空港」で人気歌手の仲間入り
台湾人のテレサ・テンが日本で大ブレイクしたのは、1984年に再来日して以降のことです。
ところがテレサは、それより10年も前に日本でデビューしているのです。
アイドルをあきらめて大成功!
テレサ・テンの日本でのデビュー・シングルは1974年3月発売で、アイドル歌謡曲の「今夜かしら明日かしら」だったが不発に終わる。
出典: https://ja.wikipedia.org/wiki/空港_(テレサ・テンの曲)
そこで思い切って方針転換。
このあとご紹介する2ndシングル「空港」で、演歌・歌謡曲路線への転向を試みました。
空港(くうこう)は、1974年7月1日に発売されたテレサ・テンの2枚目のシングル。
出典: https://ja.wikipedia.org/wiki/空港_(テレサ・テンの曲)
アイドル路線からの乗り換えが吉と出て、「空港」は大ヒットします。
ムード歌謡・演歌調の路線に変更した「空港」を発表したところ、有線放送などで徐々に注目され、ロング・ヒットを記録した。累計売上は80万枚。
出典: https://ja.wikipedia.org/wiki/空港_(テレサ・テンの曲)