Hump Backの「星丘公園」ってどんな曲?
「星丘公園」は2017年11月22日に発売されたHump Backの2枚目のミニアルバム『hanamuke』に収録されている楽曲です。
ボーカルの林萌々子さんのよく通るまっすぐな声が歌い上げる、サビの歌詞がとてもキャッチーなこの曲は、どんな風にできたのでしょうか?
まずは「星丘公園」ができた背景を紹介します。
「星丘公園」ができた背景を紹介!
実は、「星丘公園」はレコーディングの一週間前くらいにできた曲。
曲を作ろうとしていた時期に、なかなか曲ができず、思い詰めてもよくないから一回息を抜こうと思った時にできたそうです。
ベース兼コーラスのぴかさんは、萌々子さんがスタジオの合間にサビの部分だけ弾いているのを聴いており、その時からいい曲だと思っていたとか。
曲を作っている姿を見守る、微笑ましいエピソードですね。
「星丘公園」というタイトルが意味するものとは?
「星丘公園」というと、3人が大阪出身であることから枚方市の星丘にある、星ヶ丘公園からタイトルを取っているのかな?と思いますよね。
MVの撮影も公園で行われていますが、ここが星ヶ丘公園なのか、そして、タイトルの由来も確認できませんでした。
ちなみに、この撮影の際に萌々子さんはテンションが上がりすぎてマイクに唇をぶつけてしまい、出血してしまったそうですよ。
さすがにそのカットは使われなかったようですが、それだけ思い入れのある曲なのでしょう。
歌詞解釈をしながら曲名の意味についても考えていこうと思います。
Hump Back「星丘公園」の歌詞に込められた意味とは?
ここからはHump Backの「星丘公園」の歌詞を解釈していきます。
実は作詞作曲をしている萌々子さんは、言葉を音として捉えているところがあるらしく、他の人の解釈を聴いてそういうことだと思うこともあるとか。
というわけで、筆者の独断と偏見によって解釈してみますので、皆さんはどう解釈するか、考えながら読んでいただければ幸いです。
君が泣いた夜の忘れたくない記憶
君が泣いた夜にロックンロールが死んでしまった
僕は飛べない
イチニのサンで日が暮れて
明日になれば忘れてしまうのさ
もう 時間が止まればいい
出典: 星丘公園/作詞:林萌々子 作曲:林萌々子
「君が泣いた夜にロックンロールが死んでしまった」という歌詞から、「君」はロックバンドを何かの理由で続けられなくなって泣いたという場面が想像できます。
それは、「君」が夢を諦めた瞬間だったのでしょう。
「君」が生み出していた「ロックンロール」はこの夜「死んでしまった」のです。
「君」を大切に思っている「僕」は、なんとかしたいとは思ったものの、人が鳥のように「飛べない」ように、「僕」にはどうすることもできなかったのでした。
そして、こんなにも悲しいのに、地球はそんなこと気にもせず「イチニのサンで日が暮れて」簡単そうに「明日」へと進んでいく。
そうやって日が昇り、沈むのを繰り返していくうちに、この夜のことも「忘れてしまう」ならば「もう 時間が止まればいい」と「僕」は思うのでした。
夢は行き先を見失って空を眺めてる
永遠なんて何処にも無いんだろう
昨日なんて遠い昔話だろう
コンクリートをかち割るようなアオい青春は
何処にも行けずに空を眺めてる
夢の半分は夢で終わるのさ
明日なんて遠い未来の話さ
制服の裾を掴むような淡い初恋は
ようやく居場所を見つけたみたいだ
出典: 星丘公園/作詞:林萌々子 作曲:林萌々子
「君」が夢を諦めた夜を忘れられない「僕」がその次の日、「永遠なんて何処にも無い」のだから、と気持ちを整理しようとする姿が描かれています。
そして、「昨日なんて遠い昔話だろう」と自分に言い聞かせているのですが、 そう簡単には割り切れず、行き場のない思いを抱えているのがわかるのが次の歌詞です。
「アオい青春は 何処にも行けずに空を眺めてる」という歌詞ですね。
「アオい」とその未熟さは自嘲しながらも、「青春」には「コンクリートをかち割るような」逆境も打ち砕く力があることを認めています。
それなのに「夢の半分は夢で終わる」のは、多くの人がどこかで夢を諦めているからと「君」を普遍化して切り替えようとしている「僕」は、まだ夢を諦めていないのでしょう。
「何処にも行けずに空を眺めてる」という歌詞は、「青春」に描いた君の行き場をなくした夢でもあり、まだ同じ夢を諦められていない「僕」の姿。
「君」は「僕」にとって「淡い初恋」の相手でもあり、同じ音楽という夢を追いかけていた相手でもあったのですね。
抱え続けてきた「淡い初恋」の気持ちが見つけた「居場所」は、きっと失恋だったのでしょう。
「君」の夢が終わったとき、「僕」の「君」への恋も終わり、そして、「僕」の心には永遠に続くものはないという無常観が刻まれたのでした。