人間の本来の姿について歌う

小南泰葉【噓憑きとサルヴァドール】歌詞を解説!「噓憑きとサルヴァドール」は何の象徴?切実な思いに迫るの画像

シリアスな世界観が癖になる、小南泰葉の『嘘憑きとサルヴァドール』。

人間とは実に多面的な生き物です。

善良な一面もあれば、暴力的でずるい面も持っている。

その人の人間性を一言で表すなど、到底不可能でしょう。

この曲で歌われているのは、そういった人間の本来の姿についてです。

美しさだけがすべてではなく、だからといって汚れた面を悲観することもない。

綺麗だとか汚いだとか、そんな風に簡単に分類できないのが人間であり、この世界の姿なのでしょう。

では簡単ではないこの世界で、私たちはどう生きるのが正解なのか。

それはきっと私たち1人1人が自分の頭で考え、答えを出すべきものなのでしょうね。

有名画家ダリの世界観を表現?

黒と赤という、なんとも毒々しいコントラストが印象的な『嘘憑きとサルヴァドール』のMV

壁に空いたいくつもの穴から覗く人の口や目や手が不気味で、恐ろしささえ感じます。

また人間の一部分だけを切り取って見せたり、1つのモチーフを多用する演出は抽象画のようでもありますね。

実はこの曲の歌詞には、シュルレアリスムを代表する画家「サルバドール・ダリ」の名言が使われているんです。

その歌詞については後ほど解説するとして、今注目したいのは「サルバドール・ダリ」の名前。

「サルバドール」は、「サルヴァドール」と表すこともできます。

つまりタイトルの「サルヴァドール」は、「サルバドール・ダリ」に関係しているとも考えられるのです。

MVがどこか抽象画っぽい雰囲気を持っているのは、ダリが描く奇怪な世界観を表現しているからかもしれませんね。

「サルヴァドール」は「救世主」の意味

「サルヴァドール」とはスペイン人に多い名前で、「救世主」という意味があります。

タイトルに込められた意味についても考えながら、さっそく歌詞を読み解いていきましょう。

野望と現実

神話と伝説に成るために これでもかと畳み掛けて行く欲望 興奮に陶酔し
子供らしい狼と大人しい羊達の中もがき縋り 日々を紡いでいます

出典: 嘘憑きとサルヴァドール/作詞:小南泰葉 作曲:小南泰葉

他人から認められたい。大勢の人から称賛されたい。

人は誰しも、そういった承認欲求を持っているものではないでしょうか。

教科書に名前が載るような偉人になることができたら、自分が死んだ後も世界は自分のことを覚えていてくれるはずです。

今の自分とは違う何かになりたい。

そう願うのも、無意識のうちに自分が死んだ後の世界に想いを馳せているからなのかもしれません。

もしも世界中から拍手喝采を浴びるような偉業を成し遂げたなら...。

そんな妄想に胸を躍らせたことが、誰にでも一度はあるでしょう。

この曲の主人公も、随分と大それた野望を抱いているようです。

しかし現実はまだ何者にもなれないまま、どうにか日々を生きているといった様子。

「狼と羊」の歌詞は、無邪気な振りで世界を支配しようとする強者と、それに従うしかない弱者を表しているのでしょう。

そして主人公はそんな強者と弱者の間に立って、世間の荒波にもまれているようです。

嘘に慣れてしまった

嘘に取り憑かれた僕は 毎朝鏡の前に立ち 今日のマスクを選び抜く
『どちらにしようかな ぼくの かみさまのいうとおり』にしてしまいましょう

出典: 嘘憑きとサルヴァドール/作詞:小南泰葉 作曲:小南泰葉

冒頭で述べたように、人間は多面的な生き物です。

そしてその多面性の中には偽りの自分も含まれているでしょう。

嘘をついたことのない人間なんて、きっとこの世界に1人もいません。

自分のため、あるいは誰かのために人は嘘をつきます。

嘘が必ずしも悪いことだとは言えませんが、嘘に慣れてしまっては真実を見失ってしまいます。

この曲の主人公は、自分を偽って生きていくことが日常と化してしまっているようです。

本当の自分を押し殺し、世間にとって都合の良い自分を演じて生きる。

そんな偽りの自分を、ここの歌詞では「マスク」と表現しています。

自分の意思では何も選べず、何も行動できない。

神様の言う通りとは、誰かの言いなりになって生きていると言い換えることもできそうですね。

繋がりが欲しい

どうやったってあの世に持って行けるモノは無いのになぁ
人は何故駄々と駄々を捏ねて泣くんだろう

I miss the world today この世界を今日は寂しく思った
I miss you tonight 指きりげんまん嘘憑いた 君に針飲まそう

出典: 嘘憑きとサルヴァドール/作詞:小南泰葉 作曲:小南泰葉

人生でどんな成功を収めたとしても、死んでしまえばそれまでです。

富も栄光も、死後の世界へ持っていくことはできません。

それなのに何故、人は生きているうちに何かを残そうと必死になるのでしょう?

その答えを歌っているのが、「I miss~」からの歌詞なのかもしれません。

喜びも悲しみも、すべての感情は他人や世界と関わることで生まれます。

富や栄光を手にしたとしても、自分1人ではそこには何の価値もないでしょう。

だから人は誰かを恋しく想い、孤独を嫌うのかもしれません。

生きているうちに何かを残したいのは、きっと他人や世界との繋がりが欲しいから。

そしてその繋がりと呼べるものの1つが「約束」なのではないでしょうか。

他人に嘘をつかれて憤るのは、大切な繋がりをないがしろにされたと感じるからなのかもしれません。

広い世界で生きる小さな存在