愛は肉体的な悦びに基づく

アリアナ・グランデ【Baby I】歌詞を和訳して徹底解釈!結局アリアナが言いたいことは何だったの?の画像

Baby I'm so down for you
No matter what you do (real talk) I'll be around
Oh baby, see baby I been feelin' you
Before I even knew what feelings were about
Oh baby

出典: Baby I/作詞:DIXON ANTONIO LAMAR,EDMONDS KENNY BABYFACE,SMITH PATRICK MICHAEL 作曲:DIXON ANTONIO LAMAR,EDMONDS KENNY BABYFACE,SMITH PATRICK MICHAEL

私はあなたのすべてに魅了されています。

「ベイビー、私はあなたにぞっこんだわ

あなたが何をしようとも関係ない (本気でいっているわ) 私はあなたのそばにいるの

おおベイビー、ねえベイビー 私はあなたを感じているの

この感情がどんなものか私自身が理解する前にね

おおベイビー」

私があなたのどこに惚れているのか分からないのですがとにかく全面的に好きなようです。

あなたがどんなことをしていても気にしない。

あなたがあなたでいてくれるなら私は全肯定するという想いが透けます。

私は愛を観念で捉えようとはしないのでしょう。

身体で感じ合えたならばそれでいいのかもしれません。

愛は肉体的なものであり、観念で把握するものではないというモチーフは黒人音楽が携えたテーマです。

肉感的で祝祭感のあるR&Bやソウル・ミュージックの中で繰り返されてきたテーマ。

アリアナ・グランデもこのテーマを踏襲しています。

肉体で感じ取るものは容易には言葉に置き換えられないです。

肉体で受け取る感覚は理性などでどうにかできるものではありません。

そのために私はあなたに甘えるようにベイビーと連呼します。

ベイビーには「ねえ、あなた」くらいの意味しかないでしょう。

意味が消失するくらいの悦びに酔っているのならば意味不明の言葉に頼らざるをえないです。

言葉のスペシャリストたちは古今東西、この肉体の悦びを何とか文章にしようと苦闘してきました。

シンガーも言葉を伝えるとはいえ、もっとビートに特化したワードで愛を表現することができます。

ベイビーに限らずohなどの間投詞で悦びまで表現できるのが歌の持つ強みです。

言葉の肉体化こそがソウル・ミュージックのテーマでさえありました。

アリアナ・グランデの「Baby I」の主題はまさしく言葉の肉体化にあるのではないでしょうか。

その証拠に「Oh Baby」のような予め意味が無効化された言葉歌詞を埋めています。

言葉では伝えられないのに

歌詞は言葉にしなくてはいけない

アリアナ・グランデ【Baby I】歌詞を和訳して徹底解釈!結局アリアナが言いたいことは何だったの?の画像

When I try to explain it I be sounding all crazy
The words don't ever come out right
I get all tongue tied (and twisted)
I can't explain what I'm feeling

出典: Baby I/作詞:DIXON ANTONIO LAMAR,EDMONDS KENNY BABYFACE,SMITH PATRICK MICHAEL 作曲:DIXON ANTONIO LAMAR,EDMONDS KENNY BABYFACE,SMITH PATRICK MICHAEL

リフレインのようですが微妙に歌詞が違います

「私がこの思いを説明しようとしても 私にはまるで馬鹿げたように聞こえてしまうわ

言葉ではまるでしっくりこないの

私は舌全体が硬直したり(絡まったり)するわ

わたしは自分の感情を上手く表現できないの」

「Baby I」の哲学が全面的に展開された場面です。

愛を言葉に置き換えるのは無粋だとまでいいたそうな歌詞になっています。

しかしその無粋さを言葉で説明しないといけないのが歌詞というものの面倒なところです。

いっそ現代音楽のように言葉を用いないヴォイスでの表現の方がこの曲の哲学と近しいかもしれません。

それでは全米ビルボード・チャートにランクインすることさえできなさそうですが。

「Baby I」の哲学はかつてオノ・ヨーコなどが挑戦したテーマと等しいはずです。

しかし21世紀のポップ・ソングに結晶させなければアリアナ・グランデも歌えません。

「Baby I」は非常に挑戦的なテーマに関わります。

その一方でポップ・ソングとしての明瞭さという宿命から逃れられないのです。

若さゆえに愛を言葉できちんと表現できない女子のもどかしい気持ち。

もどかしい有り様を歌詞の中で説明するのは大変な作業でしょう。

もどかしさを説明できなくてもどかしいという状況に語り手の私は落ち込んでしまいます。

解決策はすでに見たようなものです。

ちょうど次のラインで登場しますので、もう一度確認しましょう。

ベイビーで十分かも

脳の違う部位を動かして

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And I say baby, baby
Baby (baby I)
Oh baby, oh baby, my baby (baby I)
Oh baby, baby I (baby I)
All I'm tryna say is you're my everything baby
But every time I try to say it words they only complicate it

出典: Baby I/作詞:DIXON ANTONIO LAMAR,EDMONDS KENNY BABYFACE,SMITH PATRICK MICHAEL 作曲:DIXON ANTONIO LAMAR,EDMONDS KENNY BABYFACE,SMITH PATRICK MICHAEL

ベイビーという言葉で画面がいっぱいになります。

「それで私はベイビー、ベイビーっていうの

ベイビー(ねえ私ね)

おおベイビー、おおベイビー、私のベイビー(ねえ私ね)

おおベイビー、ねえ私ね(ねえ私は)

私が伝えたかったことはあなたが私のすべてなのよベイビーってことだけなの

でも私が頑張って表現しようとするといつも 言葉がその気持ちを分かりにくくしてしまうわ」

リフレインのようでいて周到に言葉の置き方を変えているのが見事です。

今感じた悦びはすべてベイビーというワードで済ませたいのでしょう。

このベイビーには意味がないようでいて、しっかりと愛を詰め込んだ言葉になります。

語り手の私はベイビーという言葉の万能性に気付いてしまったのです。

難しい表現は苦手だから、あなたに情感たっぷりにベイビーと語りかけたい。

実際に仲がいいふたりにとってこれ以上の言葉は要らないのかもしれません。

それでもどうしても言葉にしたくなるのが人間というものなので私も困っていますが。

言葉というものは人間の思考や理性の本幹です。

しかし愛などの本能に根付いた経験は思考や理性とは違った脳の働きで悦びを獲ます。

愛を言葉にできないことの原因は、使っている脳の働きが違うためでしょう。

それでも言葉にしようと努力して人は大人になるのですが、「Baby I」の私はまだ年若いです。

まだまだこれから言語能力を高める余地がいっぱいあります。

そのために今の気持ちはベイビーの中に詰め込んでいても構わないはずです。

そのうちエレガントな女性に成長して愛の表現を多様化させるでしょう。

言葉のキャパシティ

学校では習わない大切なこと

アリアナ・グランデ【Baby I】歌詞を和訳して徹底解釈!結局アリアナが言いたいことは何だったの?の画像

Straight up, you got me
All in, how could I not be
I sure hope you know
If it's even possible, I love you more
Than word love can say it
It's better not explaining that's why I keep saying baby I

出典: Baby I/作詞:DIXON ANTONIO LAMAR,EDMONDS KENNY BABYFACE,SMITH PATRICK MICHAEL 作曲:DIXON ANTONIO LAMAR,EDMONDS KENNY BABYFACE,SMITH PATRICK MICHAEL

間にリフレインが挟まります。

繰り返しになるので訳出は割愛しました。

「正直に言うね あなたは私を虜にしたのよ

そうならない訳がある?

あなたも分かっているって私は願っている

愛という言葉が表現する以上にあなたを愛することが可能ならば私はそうするわ

表現しきれないの、だから私は『ねえ私ね』って口にし続けるわ」

愛というものはその存在自体が大きく雄弁です。

言葉など追いつかないくらいの情報量を快楽として脳に注ぎ込みます。

愛という言葉さえ実感する愛情と比べると薄っぺらく感じるものです。

だから語り手の私は「Baby I」といい続けます。

愛の表現としては十分なキャパシティを持つ言葉が「Baby I」なのでしょう。

言語表現は豊かにする必要があります。

絶えず自分をブラッシュアップして言語能力を高めてゆく必要が社会的に求められるのです。

学校で国語の授業や講義が必須なのはそのためでしょう。

国民の統率のために国語教育は行われます。

しかし生徒が社会人として円滑にコミュニケーションするためにも国語教育は必要とされているのです。

悲劇的なのは「Baby I」で描かれる愛の表現は教室では習えないものだということ。

愛の表現は文学に限らず映画や音楽の中から自分で学習してゆくしかないです。

また実際に肌を合わせて成長する中で愛の表現を獲得して大人になります。

学校では習えないものが男女の愛情表現かもしれません。

こうしたレッスンは自主的にしておかないと子どもから卒業できないでしょう。

この先、「Baby I」はクライマックスに向かいますが、いよいよベイビーが連呼され続けます。

語り手の私は今の自分にできる解決策を採用しました。

クライマックスを見ていきましょう。

「Baby I」と愛情表現