大滝詠一

『幸せな結末』大滝詠一は作るのを断っていた!?気になる真相を徹底解剖!【歌詞情報】の画像

1968年、早稲田大学に入学した大滝は在学中に細野晴臣に出会い、バンドを結成します。

1970年、ロックバンド“はっぴぃえんど”としてデビューした彼らは、一躍音楽好きの間で大きな話題を集めました。

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ナイアガラ・レーベル

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1974年、大滝詠一の主導で発足したプライベートレーベル「ナイアガラ・レーベル」。

発足した当初はその趣味性の高すぎる音楽から一般の音楽ファンには受け入れられず、売り上げも低迷していましたが、1980年発表の山下達郎アルバムTATSURO YAMASHITA FROM NIAGARAから徐々に人気を獲得しました。

現在は大瀧の親族により管理され、彼の楽曲の管理やリリースなどを行っています。

ちなみにナイアガラの名前の由来は大滝(=大きい滝)からとのこと。わりと適当なんですね。

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楽曲提供とプロデュース

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1980年から、かつてのバンド仲間でもある松本隆の作詞とコンビを組んで楽曲提供をすることの多くなった大瀧。

太田裕美の「シベリア鉄道」松田聖子の「風立ちぬ」森進一の「冬のリヴィエラ」など、次々と大ヒットシングルを手掛け、黄金コンビの名前をほしいままにします。

ロック、ポップス、演歌まで、ジャンルも問わずにヒットを飛ばした大滝は、1981年3月、自身のアルバムA LONG VACATIONを発表し、自身の歌手活動も本格化させていきます。

ちなみに同アルバムは現在もセールスを伸ばす大名盤であり、筆者も生涯ベストには必ず選びたい大好きな1枚です。

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急死

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2013年12月30、年末の慌ただしい空気の中、その訃報は突然伝えられました。

大滝詠一の急死。

そのニュースは、音楽関係者やかつての名優たちに、衝撃とともに知らされます。

翌2014年は大瀧への追悼イヤーとなり、それまでリリースされてこなかった音源の発売などが大々的に行われ、それまで彼を知らなかあった若い世代のもとにもその音が届けられるきっかけとなりました。

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はっぴぃえんど

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現在でも伝説と呼ばれる70年代のロックバンド

1970年から1973年の解散までのたった3年ほどの活動期間ながら、現在でも多くのファンに愛されるサウンドを生み出したバンドです。

メンバー