RADWIMPSの歌詞は難しい? 「閉じた光」の解釈の数々
通算3番目のアルバム『RADWIMPS 3 〜無人島に持っていき忘れた一枚〜』に収録された「閉じた光」の解釈は、様々です。
ネット上には戦争の時の特攻隊員についての歌という解釈や、この現代社会についての歌など様々な解釈があります。
ここでは自己流の解釈になりますが、できるだけ素直に彼らの歌を解釈してみようと思います。
「閉じた光」のタイトルと歌詞の解釈
「閉じた光」の歌詞を読む
あなたにナニカ届けたくて
声だけ持って走りました
ずっとずっと遠くまで
そしたらナニカ忘れました
あなたをずっと想いました
星がきれいに見えたんだ
そしたら僕は思い出した
60億回目の息をした
出典: 閉じた光/作詞:野田洋次郎 作曲:野田洋次郎
まず最初の部分は、"声だけ持って走った"という部分から、歌うことについての自己言及ではないかと思います。
歌を届けるために走ってきた自分たち。
でもそうして走り続けていると、何かを忘れてしまう。
これは慌ただしい中でいろんなことを忘れることを意味しているのかもしれません。
「生きてること」確かめたくて
呼吸を少し 止めてみた
酸素は僕を望んでいた
なんとなくすごく嬉しかった
遠くから声聞こえました
「頑張れ」と言っていたんだ
じゃあ誰より強くあればいい?
「誰よりも強くなればいい」と笑った時代が今
幾つもの命を奪った
閉じた瞼だけが僕の弱さを知ってたんだ
出典: 閉じた光/作詞:野田洋次郎 作曲:野田洋次郎
走り続ける日々の中で、なぜ生きているのかということを忘れてしまいます。
だから自分で呼吸をとめてみます。 すると身体が呼吸をしたいと言っています。
苦しいのです。
身体が生きたがっている。 呼吸をしたがっている。
それは生きたいと思っているということです。
そして誰かが頑張れと言っているような気がします。
まだ歌わなければならない。そう野田は思ったのでしょう。
"誰よりも強くなればいい"という部分は、1番を目指すことを奨励した時代のことだと思います。
そういう時代において、1番になれない人間が、何人も自殺していったことを野田は知っています。
そして同じように呼吸をとめてみた野田は、そうした死んだ人々の気持ちがわかったのでしょう。
タイトルの意味
この歌で"閉じた瞼"という部分がタイトルの「閉じた光」に繋がっています。
生きづらい世の中で、命を絶った人々は、生きるという光を閉じた人々。
でも彼らの弱さと僕の弱さには近い部分があるのでしょう。
輝いたあの星も枯れ切った僕も宇宙の道草
それだけでまた明日も笑えるような気がしたんだ
降ってきたこの痛みは笑ってた僕がよこした辻褄
それだけでまた明日の僕を好きでいられる気がしたんだ
出典: 閉じた光/作詞:野田洋次郎 作曲:野田洋次郎
"輝いている星"に対して、自分が表現をしてきて枯れきっている。
もう何も言いたくないと思う気持ちがひょっとすると歌に出ているのかもしれません。
でも歌うことがアイデンティティである野田が、夢を諦めて歌うことをやめたら、それは生きている意味を失うことです。
でもそんな自分を宇宙の道草だと歌っています。
なんてことない、たいしたことないと自分を思えることで笑うことができます。
そして痛みがあるから生きていることを知ります。
苦しい状態で野田が生きることを問うています。
裸ラランランラランラ爛々ってな具合で生きてみたいものです
すっからかんのころんのすってんころりんちょんのポン
って名前で生まれてきたかったです
(パパ) (でも) 諦めて僕笑いました
夢だけ置いて走りました
いやでもナニカ目指さなくちゃで
苦しい時こそ笑えだとかなんだ?
笑った友が今日も
「ちょっくら死んでくるわ」と言った
そしていつものよう
僕は左手を振った「またね」
出典: 閉じた光/作詞:野田洋次郎 作曲:野田洋次郎
楽に生きたい。 苦しみたくない。
そんな中で、苦しい時ほど笑えなんて言う人もいます。
でも、その通りに笑った友だちが、"ちょっくら死んでくる"なんて日常の延長の上で軽く死を口にします。
それに対して、"またね"と軽く返事をする。
死にたいことが共有されていて、死ぬことは難しいけれど日常になっています。
消えてった今日の友は今日生まれてきた友の辻褄
それだけでまた明日も笑えるような気がしちゃった
持ってきたこの声はこんなこと言いたくなかったかな
置いてきたあの夢はどこかで喜んでいるのかな
ごめんな
出典: 閉じた光/作詞:野田洋次郎 作曲:野田洋次郎
友が死に、友が生まれてくるという部分は、実際の生き死にと繋がりがあるかどうかわかりません。
でもそれぐらい追いつめられている人々はたくさんいる。
野田自身はこんな死についての歌は歌いたくなかったのかもしれません。
だから謝っています。
そしたらね 僕にもね
20年目の夜を越せる気がする
嫌いになるにはもう少しで
好きになるには程遠くて
うまいことできた世界だ
それでもね 上手にね
生きて見せる僕が好きだったりした
それだけでまたいつまでも笑えるような気がしたんだ
出典: 閉じた光/作詞:野田洋次郎 作曲:野田洋次郎
結局、死ぬことについて考えても、上手く生きている野田がいます。
結局、死ぬことを選択して"閉じた"友がいます。
それでも僕は生きている。
深く彼らに共感しながら生きているのです。
野田のぎりぎりの表現が光る曲だと思います。