父親の不在は埋められない
ざわわ ざわわ ざわわ
広いさとうきび畑は
ざわわ ざわわ ざわわ
風が通りぬけるだけ
知らないはずの父の手に
だかれた夢を見た
夏の陽ざしの中で
出典: さとうきび畑/作詞:寺島尚彦 作曲:寺島尚彦
6連目の歌詞。
母親はいても父親の不在が呼び込む寂しさを埋めることはできません。
沖縄戦での住民犠牲者は9万4千人。
他に日本軍に殺害された人や集団自決を強いられた人が1000人に及びます。
戦時中の日本は「生きて虜囚(りょしゅう)の辱(はずかし)めを受けず」という教えが徹底されていました。
捕虜になるくらいなら自ら死を選べという考えです。
沖縄戦でもこの考えに縛られてアメリカ軍に投降する前に防空壕などで集団自決をする住民がたくさんいました。
軍部の洗脳が生んだ罪の犠牲者たちです。
この歌の主人公の少女みたいな境遇の子どもたちが大勢いたのでしょう。
繰り返してはならない悲劇です。
戦争はまだ終わっていない
本土復帰が遅れた沖縄
ざわわ ざわわ ざわわ
広いさとうきび畑は
ざわわ ざわわ ざわわ
風が通りぬけるだけ
父の声をさがしながら
たどる畑の道
夏の陽ざしの中で
出典: さとうきび畑/作詞:寺島尚彦 作曲:寺島尚彦
7連目の歌詞。
いないはずの父親の声を捜し続ける少女。
沖縄の土地にはいまなおたくさんの人骨や不発弾が埋まっているといわれています。
「戦争はまだ終わっていない」
それが沖縄県民の本音です。
1952年、サンフランシスコ講和条約が発効し、日本と連合国との戦争状態が終了。
それでも沖縄は日本本土に復帰できませんでした。
依然、アメリカ合衆国の占領下に置かれていたのです。
1972年の沖縄返還まで、この異常な状態が続きました。
沖縄の歴史が他の都道府県と比して複雑な事情を抱えているのをご理解いただけたかと存じます。
戦争で肉親を奪われる
本当に引き返せなかったのか?
ざわわ ざわわ ざわわ
広いさとうきび畑は
ざわわ ざわわ ざわわ
風が通りぬけるだけ
お父さんて呼んでみたい
お父さんどこにいるの
このまま緑の波に
おぼれてしまいそう
夏の陽ざしの中で
出典: さとうきび畑/作詞:寺島尚彦 作曲:寺島尚彦
8連目の歌詞。
少女が亡くなった父親に必死に語りかける姿に涙を禁じえません。
戦争でなくても肉親の不在は悲しいものです。
しかし戦争による死は病気や事故とは根本的に違います。
人間に智慧や叡智があれば戦争は避けられたはずなのです。
「日本は仕方なく戦争に追い込まれた」という言説が闊歩し始めました。
戦争の肉感を伴った記憶が薄れ始めたせいでしょう。
こうした言説には大した根拠はありません。
大日本帝国が拡張主義を転換し、大陸の利権などを手放せば済んだ話です。
それだけでその後に多くの人命が損なわれる事態にはなりえませんでした。
主権が国民になかった時代は、人命も軽んじられます。
繰り返してはいけない歴史がここにあるのです。
本当に守りたいものは人々の暮らし
風が吹き通るさとうきび畑
ざわわ ざわわ ざわわ
けれどさとうきび畑は
ざわわ ざわわ ざわわ
風が通りぬけるだけ
今日もみわたすかぎりに
緑の波がうねる
夏の陽ざしの中で
出典: さとうきび畑/作詞:寺島尚彦 作曲:寺島尚彦
9連目の歌詞。
日本の敗戦をもって、沖縄にも一応の平和が訪れます。
自然が豊かな沖縄の土地が二度と戦禍の火に飲まれることがないように祈るばかりです。
沖縄は悠久の歴史を持ち、独自な時間が流れている土地。
せわしなさなど微塵もない沖縄の独特な時間の流れ。
風が吹き注ぐさとうきび畑。
守りたいものは国家としてのメンツなどではなく、こうしたかけがえのない自然と人々の暮らしです。