ここで登場する「君」とは、「俺」にとってどんな存在なのでしょうか。

おそらく、「君」は「俺」の友人なのでしょう。

一緒に酒を飲んでいるとき、ふたりは心を開いているようです。

そしてここでタイトルの「クラッカー」を思い出してみましょう。

クラッカーを「俺」が自分のために鳴らすとは考えづらい。

つまりこのクラッカーは、「君」が「俺」を祝ってくれたクラッカーなのでしょう。

「俺」は全くの孤独ではなく、思ってくれる相手がいる。

そうした光があるからこそ、「俺」は同時に影も感じてしまいます

この光と闇が、「俺」の命を揺らがせているのです。

明日になったら何が変わるのか

変わるのは自分か周囲か

明日になったら変わるかな
とっくのとうに手遅れかな
また揺らいでいる
俺の物じゃない命

出典: クラッカー・シャドー/作詞:秋山黄色 作曲:秋山黄色

「俺」は何かが変わることを考えます。

一体何が変わるのでしょうか。

自分自身が変わるのか。

あるいは、周囲が変わることを願っているのかもしれません。

今は「俺」自身もどちらともいえないのでしょう。

自分自身を曖昧で揺らいでいるものだと思っている「俺」。

こう変わりたいという強い意志があるのではない。

かといって周囲や世界が変わってくれると楽観的に思っているわけでもありません。

だから曖昧に「何かが変わるといいな」と思うのです。

拒否と希望の間で揺らぐ命

明日になった時どう変わるのか…それを思う「俺」の心もまた揺れています。

変わったらもっと良いことが起こるのではないかという希望。

とっくに手遅れなのかもしれないという恐怖。

そしてもし悪い方向に変わってしまったら。

プラスの希望とマイナスの感情の間でも揺れているのです。

変わることには勇気がいります。

思い切って変わろうという気持ちも「俺」の中にはあるのでしょう。

ですが変わった後には結果が待っています。

それが、とっくに手遅れだったという現実だったら。

もう自分はこれ以上良い方向には進めないと突きつけられてしまう。

そうした可能性を恐れると、変わろうと踏み出すのは難しいのです。

その結果今のまま、揺れているままに時間が過ぎていきます。

俺のものじゃない命とは何か

なぜ命は俺の物じゃないのか?

「俺」は自分の命を自分の物ではないと感じています。

そしてそれが揺らぐ命だと感じているのです。

その理由のひとつは、「俺」が自分自身の存在が曖昧だと感じているからです。

存在くらい 曖昧なものはない
存在くらい 曖昧なものはない
酔ってる時には 吐き気がするほど笑える

出典: クラッカー・シャドー/作詞:秋山黄色 作曲:秋山黄色

こう繰り返すように「俺」は自分の存在を曖昧で揺らいでいるものと感じています。

それは自分だけでなく、周囲の存在もそうなのでしょう。

自分の命は自分のものだと胸を張って言える程希望に満ちてはいない。

けれど、もう生きている価値はないと言える程に世界を理解したわけでもないのです。

曖昧であるということは、形が定まっていないということ。

まだどのようにも変われるかもしれない。

しかし、とっくに手遅れかもしれません。

そんな希望と不安の中で曖昧に揺れていて、自分では決断が下せないのです。

だからこそ、「俺」は自分の命を曖昧で揺れていると感じています。

様々なものの間で命は揺らぐ

明日になったら変わるなら
とうとう希望はなくなるよ
また揺らいでいる
俺の物じゃない命
クラッカー・シャドー

出典: クラッカー・シャドー/作詞:秋山黄色 作曲:秋山黄色

もうひとつ「俺」の命を揺らがせるものが「君」の存在です。

「俺」自身は、自分の命を価値のあるものとは思っていません。

けれどそれだけで自分を全て否定することもできない。

それは酔って話す「君」がいるからです。

自分のためにクラッカーを鳴らしてくれる誰かがいる。

自分自身を否定したい「俺」自身の感情。

自分を肯定してくれる「君」の存在。

自分の価値を認められないからこそ、「俺」は自己否定だけで命を捨てることはできません。

光を当ててくれる「君」がいるために「俺」は蝋燭の炎のように揺らいでしまうのです。

「君」が鳴らしてくれるクラッカーを「俺」は思い起こします。

それは自分を照らしてくれるものでもあり、影を描き出すものでもある。

クラッカー・シャドーの意味するものはそうした光と影なのです。