欧陽菲菲ってどんな人?
台湾出身
欧陽菲菲は、「オーヤン・フィーフィー」と読みます。
若い人たちにはあまりなじみのない名前かもしれません。
台湾出身の歌手で、昭和40年代から50年代にかけて多くのヒット曲を歌いました。
昔の話過ぎてよく分からない、という方はお父さん、お母さんに聞いてみてください。
すでに台湾で歌手として活動していた欧陽菲菲は、1971年、昭和46年に「雨の御堂筋」で日本デビューします。
この曲はアメリカのインスト・バンドであるザ・ベンチャーズが作曲したことでも話題になりました。
欧陽菲菲は日本の伝統的な演歌や歌謡曲とは違う、パワフルなボーカルで一躍人気歌手になります。
日本レコード大賞で新人賞を獲得し、デビュー翌年には紅白歌合戦に初出場を果たします。
また、欧陽菲菲と言えば片言の日本語が当時歌番組やバラエティー番組で人気になりました。
ちょっとおかしな言葉使いとともに、飾らない言葉やストレートな物言いがウケたのです。
一説によると、和田アキ子に日本語を教わったので言葉使いが悪くなったという噂がありますが、真偽のほどはよくわかりません(笑)。
「ラヴ・イズ・オーヴァー」
3度のレコード化
「ラヴ・イズ・オーヴァー」は欧陽菲菲の代表曲のひとつですが、曲の成り立ちが少し複雑です。
元々は1979年にリリースされたシングル「うわさのディスコ・クイーン」のB面曲でした。
A面、B面と言ってもアナログ・レコードを知らない若い人にはわからないかもしれません。
昔、アナログ・レコードはA面、B面と裏表に曲が収録されていました。
いわゆるシングルの表題曲はA面、今でいうカップリングがB面ということになります。
つまり「ラヴ・イズ・オーヴァー」は元々カップリングの曲だったのです。
「ラヴ・イズ・オーヴァー」の人気が出てきたので、1980年に改めてA面として「ラヴ・イズ・オーヴァー」のシングルが発売されます。
そしてさらに、1982年に再度アレンジをし直したバージョンがシングルとして発売されました。
つまり「ラヴ・イズ・オーヴァー」は3回、レコードとしてリリースされているのです。
現在、ベスト盤などで聞くことができるのは1982年にリリースされた再アレンジバージョンがメインだと思います。
歌謡史に残るロングセラー
当時は今と違い、インターネットで情報がすぐに拡散される時代ではありませんでした。
最も大きな力を持っていたメディアはテレビで、ラジオや有線放送も重要な位置をしめていました。
「ラヴ・イズ・オーヴァー」も有線放送を中心に徐々に人気が広がっていき、1983年12月にはついにオリコンチャートの1位に輝きます。
再アレンジバージョンのシングルが発売されてから1年以上が経っていました。
演歌や歌謡曲の世界では、このように曲が世に出てからヒットするまでに長い時間がかかることも多くありました。
「ラヴ・イズ・オーヴァー」はその後も売れ続け、最終的には50万枚を超すヒットになります。
作詞・作曲は?
歌詞について
男女の悲しい別れを歌う
それでは、「ラヴ・イズ・オーヴァー」の歌詞を見ていきましょう。
Love is over 悲しいけれど
終りにしよう きりがないから
Love is over わけなどないよ
ただひとつだけ あなたのため
Love is over 若いあやまちと
笑って言える 時が来るから
Love is over 泣くな男だろう
私のことは 早く忘れて
出典: ラヴ・イズ・オーヴァー/作詞:伊藤薫 作曲:伊藤薫
この曲は男女の別れを歌った曲です。そして、別れを切り出しているのは女性です。
「ラヴ・イズ・オーヴァー」はこの女性の視点で歌われている曲なのです。
別れる理由はない、ただあなたのためと彼女は歌っています。
「悲しいけれど」という言葉から、本当は別れたくないという気持ちが見えてきます。
「若いあやまち」ということは、二人はまだ若いのでしょうか。男も別れたくなくて泣いています。
別れたくない、愛し合っている二人が別れなくてはならない。
2人はロミオとジュリエットのように身分の違う立場なのかもしれません。
周りの大人たちや状況が二人の愛を許さなかったのかもしれません。いろいろと想像がふくらんでいきますね。
わたしはあんたを 忘れはしない
誰に抱かれても 忘れはしない
きっと最後の 恋だと思うから
出典: ラヴ・イズ・オーヴァー/作詞:伊藤薫 作曲:伊藤薫