再び動き始めたジャパハリネット…8年ぶりの再結成は早い?
2007年に一度は解散したものの、8年の時を経た2015年、再び動き始めたジャパハリネット。
ベースの鹿島は自身のブログにて、この8年という時間をこう表現していました。
いつかはするんだろうなっと思っていたんですが、
こんなにはやく再結成するとは自分自身でも思っていませんでした。
出典: https://ameblo.jp/kashimashicom/entry-12089358675.html
再結成については「いつかはすると思っていた」。
そして8年という時間に対しては「こんなにはやく」と言っています。
これを聞いてどう感じるかは人それぞれですが、少なくとも筆者は8年は決して短い時間ではないと感じました。
それほどに鹿島はこのバンドに対して長い目線で向き合っていたということです。
飽くまでも地元で活動を続けたのは
これも繋がってくる話なのですが、彼らの特徴の一つに売れたとしても飽くまでも地元での活動を続けたということが挙げられます。
インディーズ時代から四国地方で人気を博し、「四国地方最強のロックバンド」とも呼ばれた。インディーズ時代から地元・松山でのライブは、ワンマンをするたびに200人を超える観客を動員していた。
一度も拠点を東京に移すことなく、松山で活動し続けている。
出典: https://ja.wikipedia.org/wiki/ジャパハリネット
そして再結成にしても、それはたまたま四人が愛媛にいたからだとのこと。
再結成理由は、ただのタイミングです。
ほんとにほんと。
たまたま、愛媛に4人がいる。
出典: https://ameblo.jp/kashimashicom/entry-12089358675.html
飽くまでも地元での活動を続けた彼ら。
何故当時上京しなかったのか。
それは恐らく、彼らがバンドが売れるためというよりも、飽くまでも楽しむために音楽をやっていたから。
ビジネスではなくて、気の知れた仲間のような感覚といったところでしょうか。
だからこそ同級生がたまに顔を合わすかのように、「いつかまたやるだろう」という気持ちが語られていたのだと感じます。
解散に関しても、バンドが当時どんな状況だったかということがほんのりと記されていました。
結成当初は、自分達が楽しみたいから、活動していたのに、そうではなくなった部分がありました。
色々話せはしないし、話すつもりもないけど、
当時メンバーはとにかく、がんばりすぎていて、ぼろぼろだったのです。
出典: https://ameblo.jp/kashimashicom/entry-12089358675.html
気楽な関係性で生まれる音楽だからカッコイイ
気の知れた仲間のような感覚で集まっていた彼らが、楽しめなくなってしまっては意味がありません。
そう考えると2007年の解散は、然るべきタイミングだったのだろうなと感じさせられます。
一度は遊ばなくなってしまった地元の仲間が、ひょんなきっかけからまた集まった。
これはちょっと過ぎた表現かもしれませんが、ジャパハリネットの音楽というのはそれぐらい気楽な雰囲気でこそ生まれるものではないでしょうか。
だからこそ聴く人もまるで近所の兄ちゃんが歌っているような親近感を持って楽曲に浸ることができる。
近所の兄ちゃんがあんなにカッコイイパンクロックを奏でているんです。
それってある種スーパースターの奏でるそれよりかっこよかったりしませんか?
シンプルだけどそれがいい!「哀愁交差点」を紹介
さて、前置きにしては長くなってしまいましたが、今回紹介するのはそんな彼らのデビュー曲にして代表曲。
2004年1月21日にリリースされた「哀愁交差点」です。
懐かしさを感じさせるメロディは故郷への想い?
ストレートなロックサウンドに乗せられる、どこか懐かしさのあるメロディ。
決して難しいことをしているわけではないけど、シンプルなのに沁みるのは良曲である証拠です。
難しいことをするまでもなく、メロディや歌詞に説得力があるんですよね。
そして彼らが地元大好きバンドだということは冒頭でも触れました。
思えば彼らから感じる懐かしさは、故郷を想う懐かしさとも似ているように感じますね。
この曲の歌詞にもそんな一面は表れているんですよ。
ここからその内容を順を追って紐解いていきましょう!