タイトル回収です。
「DANDAN」という不思議なタイトルで何のことだろうと思われた方も多いはず。
それでもこのラインの文脈を読み込むと「段々」という意味であることが分かります。
ミュージシャンとは言葉の音韻にも音楽を聴き遂げるような人たちです。
吉井和哉はこの「段々」という言葉に「DANDAN」という響きを聴いたのでしょう。
この「DANDAN」という響きの音楽的な軽さのようなものがこの曲の肝だと思ったはずです。
THE YELLOW MONKEYはジャパニーズ・ヘヴィ・メタル、いわゆる「ジャパメタ」の中で生まれます。
それぞれのバンドで活躍していたメンバーが吉井和哉を慕ってTHE YELLOW MONKEYになったのです。
徐々に距離を縮めてゆく姿は男女の関係にも似ています。
結束の硬いバンドになるためには相応の時間がかかるのです。
そのために「段々」よくなればいいじゃないかと吉井和哉は歌っています。
バンドが結束の強さも成功も右肩上がりで徐々に上昇してゆく姿を描いているのです。
とはいえTHE YELLOW MONKEY自身の若手時代の苦労はもっと大変だったでしょう。
結成からメジャーデビューまで3年というのは恵まれている方です。
しかしメジャーデビューしたからにはアルバムやシングルのセールスを上げてゆかなくてはいけません。
音楽は数字じゃないのですがメジャーの音楽ビジネスは数字が第一のような世界でしょう。
彼らの当時の苦労は中々シビアなものであったはずです。
それでも今から目線で当時を振り返るとまさに「段々」よくなったねという感想になるのでしょう。
環境が変わり始めたよ
ほらDANDAN いいね DANDAN
風向きも変わる
どんな夢も叶えるバンドができたよ
出典: DANDAN/作詞:吉井和哉 作曲:吉井和哉
「段々」、THE YELLOW MONKEYの成功譚のような趣を呈します。
ヒット曲には恵まれませんがステージの方はいつも満員御礼状態でした。
やがてアルバムのヒットを足がかりに日本武道館公演までたどり着きます。
日本武道館は武道の施設であったのがいつのまにかバンドマンたちの聖地みたいな存在になりました。
5作目のアルバム「FOUR SEASONS」でオリコン・アルバム・チャート初登場1位。
何をしてもヒットするような下地を育みます。
ファンはTHE YELLOW MONKEYも信じ切っていました。
バンドもその思いに応えようとクオリティの高い作品を発表します。
いずれ下積み時代の苦労も遠い日々になってゆきました。
「DANDAN」の歌詞では上昇中のこの辺りが一番幸せなラインかもしれません。
バンドの成功というものはあくまでも価値ある音楽でしょう。
売上は二の次といってもいいかもしれません。
しかし売上が伸びれば制作環境に関してアーティストのわがままが通ります。
THE YELLOW MONKEYもロンドンでのレコーディングなどが叶うようになりました。
マテリアルとライブの成功が両輪で動いてゆきます。
期待できる未来ばかりの日々が続いていました。
下町の少年・ビリーも大成します。
いつの日かバンドはモンスタークラスの存在へと成り上がってゆくのです。
おそろしい波に呑まれる
破綻が忍び寄ってくる
浅瀬で遊んだつもりが深いとこまで持ってかれた
もがけどもがけど離岸流 波しぶきに慄いた
出典: DANDAN/作詞:吉井和哉 作曲:吉井和哉
歌詞のトーンが一変します。
バンドがモンスタークラスに成長するに従って見えない罠に捕まってしまうのです。
ミュージシャンを志す少年はあどけない憧れを胸にしています。
しかしショービジネス界の波の中に揉まれていくうちに我を失ってしまったのです。
離岸流とは沖に向かって流れてゆく波の流れになります。
砂浜の水の浅いところで他愛もなく遊んでいたのに波に飲まれてしまいました。
ライブ続きでファンひとりひとりを意識したパフォーマンスができなくなったようです。
それでもファンは異変という印象を持っていませんでした。
しかし吉井和哉の内面は疲弊したようです。
成功の代償というものに飲まれてしまうというエピソード。
これは吉井和哉が敬愛するデヴィッド・ボウイの「ジギー・スターダスト」のようなストーリーでしょう。
「ジギー・スターダスト」もTHE YELLOW MONKEYも似たような境遇の中で破綻してゆきます。
日本のバンドを代表してという気負いで臨んだ伝説の第1回フジロックでのパフォーマンス。
吉井和哉はこのステージを解散の銃爪のように考えています。
天候が最悪でどうにもならない状況の中で他の海外のバンドと張り合わなければいけません。
しかし観客の多くは洋楽嗜好の音楽リスナーばかりです。
吉井和哉は気負いだけが空回ってどうにもならなかったステージを後悔しています。
THE YELLOW MONKEYの活動は続きましたが2004年に飽和しました。
やりすぎたし、成功しすぎてしまったのでしょう。
この年の東京ドーム公演を最後に解散すると決めました。
元々は渋谷の老舗ライブハウス「ラ・ママ」でライブをしていたバンドは東京ドームを熱狂させます。
しかし自分自身の魂のようなものまでを熱狂させることができなくなったのです。
誰かの手の上で踊っていた
悪い大人も見ちゃった
人が変わっていった
御釈迦様の手のひら
逃げ切れた人はいない
出典: DANDAN/作詞:吉井和哉 作曲:吉井和哉
これは「段々」悪くなっていった例でしょう。
THE YELLOW MONKEYがビジネスになると分かったら怪しい人物がすり寄ってきたのでしょう。
ビリーというロック少年は大人たちの思惑に呑まれて辛い思いをしてしまいます。
日本の音楽とショービジネス界を仕切っていたのは元々はちょっと危なっかしい人々でした。
歌手や芸能の各種の興行を仕切ることであぶく銭を手にしていた人々がいたのです。
昭和の大スターの多くは今でしたら暴対法やコンプライアンスの問題でアウトでしょう。
THE YELLOW MONKEYが活躍していた時期にもこうした名残りはあったのかもしれません。
ヒエラルキーの頂点で巨大なパワーを発動させる人々。
こうした人々に逆らってしまったらショービジネスの世界では生き残れない。
干す・干されたという事情は業界人だけでなく視聴者・リスナーにとっても公然の秘密です。
おそろしい力というものに抗えないということは純粋なロック少年にとっては屈辱でしょう。
しかし仕方がないということを知ってしまう・諦めてしまうのも「段々」起こりうることなのです。
解散前の東京ドーム公演ではメンバー同士で会話をすることもなかったとのこと。
何かを諦めてしまったり、燃え尽きてしまった感じがメンバー全員にあったのでしょう。
変わったのは周囲の人だけではなかったはずです。
自分たちもどこかで続けることの意味を疑問に持ち始めたのでしょう。
最後に 「DANDAN」は人生讃歌
少年時代の純粋さを思いながら
間違った出会いと正しかった出会い
傷ついてばかりのあの日の君はヒーロー
出典: DANDAN/作詞:吉井和哉 作曲:吉井和哉
楽曲も佳境に入ります。
ビリーという架空のロック少年の純粋さを讃えるのです。
一方でそれは遠い日の自分たちへのささやかなねぎらいでしょう。
出会いというものは必然と偶然で様々な要因によって導かれます。
運命の出会いというものもあれば、何となく仕方なく出会うものもあるはずです。
メンバーやパートナーとの出会いはかけがえのないものでしょう。
実際にTHE YELLOW MONKEYは2016年に再結成します。
お互いに汗水垂らしながら必死に音楽を生んでいた日々が忘れられなかったのでしょう。
吉井和哉は正しいという言葉を添えてこの出会いを振り返ります。
バンド結成というものはタイミングとチャンス次第で割とスムーズにメンバーが決まるものです。
うまくいくバンドは特にその傾向が高いものでしょう。
音楽を生み出してゆくということは当然にクリエイティブなことです。
才能と才能が惹かれ合って化学反応が起こるのでしょう。
しかしそうして生まれたバンドの音楽を商材として儲けようとする人々も寄ってきます。
売る人がいなければバンドも自分たちの成功に近付けません。
つまりマネージングに関わる仕事が悪い訳ではないのです。
しかしやはり悪意を持ってすり寄ってくる人には注意しなくてはいけません。
吉井和哉にはこうした人々に搾取されたという嫌な思いがあるのです。
この種の人々に比べたらばビリー少年の眼差しは澄んだものでしょう。
歌詞はいよいよクライマックスに向かいます。