夢の中での逢瀬を願う男。
おそらく男が想う恋人とは、もう夢の中でしか会うことができない存在なのでしょう。
続く英語詩部分の意味も見ていきます。
「Just wanna do」は「それだけをしたい」。
「I gotta do」は「そうしなくちゃならない」。
このような意味合いを持つ表現です。
英語詩で書かれているこの部分は、男の心の奥底から湧き上がる願いのような感情。
失ってしまった恋人をただ追いかけたい。
失わないように共にいなくてはならない。
そう心から願いながらも、もう失った恋人が戻ることはないのです。
捨ててしまった恋慕の行く先
かりそめの夜の中で
かりそめの夜を抱き
錆びついた空を仰ぐ
出典: 東京/作詞:桑田佳祐 作曲:桑田佳祐
最愛の恋人を失った男にとって、東京の夜はかりそめのもののように映ります。
大都会である東京は、夜も明るく賑やかな場所。
夜という時間でさえ本物の夜ではないように感じさせる。
そんな心境が東京という大都会に重ねられています。
そして仰ぐ空は錆びついて感じられます。
東京は人工的な建物が立ち並び、世界でも有数の近代的な大都市。
人の手によって作られた街に雨が降り、コンクリートや鉄筋が錆びついていく。
そんな東京の風景に男は、恋人を失って荒れてゆく心を重ねているのでしょう。
雨が降る東京の街のように偽物で荒れていく。
男の心は悲嘆に包まれ、何一つ本物だと感じることもできないのです。
捨ててしまった恋慕とは
嗚呼 そして悔やむのは
涙の河に捨てた恋
出典: 東京/作詞:桑田佳祐 作曲:桑田佳祐
男は捨ててしまった恋慕を悔やみます。
これこそが忘れられない恋人との大切な恋だったのでしょう。
そんな大切な想いを、なぜ男は捨ててしまったのでしょうか。
男は今幸せであることが示唆されています。
そして東京という街に擬えることからも、男は多くのものが手に入る立場だと暗示されています。
ここから考察すれば、男はこうした成功を手にするために恋人を捨てたのでしょう。
もちろん自ら望んで捨てたわけではないのかもしれません。
ですが社会的な成功を得るために関係が続けられなくなることも多いもの。
涙の河という表現からはふたりの別れが哀しいものであったことが伝わってきます。
河に擬えるほどの涙の先に別れを選んだふたり。
それは男にとって合理的な決断だったのかもしれません。
けれど、男はその別れを悔いても悔いきれないと感じているのです。
様々な障害を乗り越えることができず諦めてしまった恋慕。
もし男がその恋慕を選んでいれば今の成功はなかったかもしれません。
それでもいいと強い後悔に揺り動かされるほどの純粋で強い恋慕の情。
そんな純粋な恋慕こそが男の捨ててしまった恋慕なのです。
東京に咲く向日葵
向日葵が暗示するものとは
去かないで向日葵
この都会の隅に生きて
世の痛みに耐えて咲いてくれ
出典: 東京/作詞:桑田佳祐 作曲:桑田佳祐
大都会に描かれる向日葵。
この向日葵こそ男にとって忘れられない恋人の象徴なのでしょう。
東京という自然の感じられない大都会。
その中で太陽を向き明るい黄色で咲き誇る向日葵は、素朴な印象もありながらぱっと目を引く存在です。
恋人は東京ではなく自然豊かな場所で育ち、その空気を纏った女性だったのかもしれません。
そして、向日葵のように明るく、男を笑顔にしてくれる人だったのでしょう。
去かないで、と願う男。
けれど既に逢瀬も叶わないふたり、男の願いが叶うことはありません。
恋人は今もこの大都会、東京のどこかに住んでいるのでしょう。
恋人も自分と同じように別れた痛みを背負っています。
それでも自分が愛したように明るく咲いて周りを照らしてほしい。
どうか幸せになってほしいと男は苦しみながらも願うのです。
痛みに満ちた東京で願うこと
男の苦悩と後悔を雨の東京に、離れた恋人を向日葵に擬える姿。
そこからは、苦悩しながらも愛する人の幸福を願う姿が見えてきます。
上京する多くがそうであるように、男もまた地方から東京へと夢を追って来たひとりなのでしょう。
そして出会い愛し合ったのは、故郷の自然を思わせる向日葵のような恋人。
男にとって恋人は光であり、冷たい東京で唯一温もりを感じられる安らぎだったのではないでしょうか。
けれど夢を追うために東京に来た男は、夢を捨てることができなかった。
夢を叶えるために大切な恋人を捨てなくてはならなくなった時、男は別れを選択しました。
けれど、その先にあったのは痛みと苦しみに満ちた冷たい大都会でしかなかったのです。
男は成功を手にしましたが、愛する人の温もりは二度と戻らない。
それを悔いて雨の中涙を流す、そんな男の物語が読み解けてきます。
そんな痛みに満ちた東京で男が願うこと。
それは別れた愛する人が幸せであること、それだけなのです。