「涙そうそう(なだそうそう)」とは
どうして森山良子が沖縄風の曲の作詞をしたのか?
森山良子といえば東京都出身、「この広い野原いっぱい」などのヒット曲で知られるフォークシンガーで、沖縄とは縁がなかったのですが、ライブで共演したBEGINと意気投合し、BEGINに沖縄の曲を依頼したそうです。
後に送られてきたデモテープにはタイトルだけ「涙そうそう(なだそうそう)」と書かれていました。沖縄の言葉で「涙がぽろぽろこぼれ落ちる」という意味です。
歌詞に込められた亡くなった兄への想い
タイトルの言葉の意味を聞いて、森山良子は若くしてこの世を去った兄への永い間封印していた想いをこめて、歌詞をつけたということです。
森山良子の兄は1歳年上で、亡くなった時は兄が23歳、森山良子は22歳だったそうです。
1948年生まれの森山良子がこの歌詞を書いたのは1998年ごろですから、50歳くらいの時に30年ほど前の兄のことを想い歌詞を書いたということになります。
森山良子にとっても、引き出しの中へしまっておいた兄への想いを開封するきっかけとなった歌です。
辛すぎて直視出来なかった感情が、この歌に詰め込まれているのでしょう。
たった一晩でこの曲を書き上げたといわれており、彼女の溢れる想いが伝わってくるようです。
別れの歌、卒業ソングとしても定番に
もともと亡き兄を想い書かれた歌詞ではありますが、その普遍的なテーマは多くの人々の共感を呼び、別れの歌、卒業ソングとしても親しまれています。
その歌詞の内容をあらためて味わってみましょう。
亡き人への想いを歌っていても、湿っぽさがまったくなくてカラッとさわやかな明るい風を感じるのは、やはり沖縄方言のタイトルと沖縄のメロディがなせるワザでしょうか。
歌詞の中には「笑顔」という言葉が沢山登場しています。
彼女の兄は笑顔でいっぱいの人物だったのでしょう。
この曲には、どんな時も笑顔を忘れてはいけないというメッセージも込められているように感じます。
もしかしたら、彼女の兄も同じようなことを彼女に伝えていたのではないでしょうか。
革表紙の赤いアルバム
笑顔が印象的な兄
古いアルバムめくり
ありがとうってつぶやいた
いつもいつも胸の中
励ましてくれる人よ
晴れ渡る日も 雨の日も
浮かぶあの笑顔
想い出遠くあせても
おもかげ探して
よみがえる日は 涙そうそう
出典: 涙そうそう/作詞:森山 良子 作曲:BEGIN
アルバムをめくりながら(今だったらスマホに保存された写真を見ながら)、うれしいことがあった日も、つらいことがあった日も、あの人の笑顔を想い出せば、癒される、励まされる、またがんばろうという気になれる・・・
そんな心情がストレートに表現されています。
森山良子は革表紙の赤いアルバムをめくっていたといわれています。
そこには在りし日の兄の笑顔が、沢山写っていたのでしょう。
兄が写っているアルバムをめくって、一緒に過ごしたことや笑ったことケンカしたことなどを思い出しています。
そして自分と一緒にいてくれてありがとう、とつぶやいたのです。
もうこの世にはいない兄ですが、いつも彼女の心の中で彼女を励ましているのでしょう。
いつも寄り添っていた兄がこの世を去って、日々はどんどん流れ遠い思い出となっていきます。
しかし兄の想い出が消えることはありません。
きっと彼女の兄は笑顔が素敵な人だったのでしょう。
彼が生きていた頃の面影は、彼女のまわりの至る所にあるのではないでしょうか。
ふとした時に兄の面影が彼女の心によみがえり、涙が頬を伝うのです。
思い入れのある一番星
一番星に祈る それが私のくせになり
夕暮れに見上げる空 心いっぱいあなた探す
悲しみにも 喜びにも おもうあの笑顔
あなたの場所が私から
見えたら きっといつか 会えると信じ生きてゆく
出典: 涙そうそう/作詞:森山 良子 作曲:BEGIN
一番星は彼女にとって特別なものです。
兄を想い泣いていた時に、一番星に兄が重なって見えました。
一番星から兄の声がきこえたような気がする、と彼女は後に語っています。
まさに一番星は「兄のいる場所」なのでしょう。
だから毎日夕暮れ時になると、一番星を探してしまうのです。
そして、彼女はその日の出来事や楽しかったことなどを語りかけています。
彼女が、兄を求めるかのように一生懸命に一番星を探す姿が浮かんでくる歌詞です。
本当に仲の良い兄妹だったのでしょう。
どんな時も、想い出の中の兄の笑顔が彼女を救っています。
もしかしたら、兄は一番星から彼女を見守っているのではないでしょうか。
自分がこの世を去る時は、きっと兄が迎えに来てくれる。
また兄妹で笑って過ごせる日が来る、そう信じたいのです。