2019年版アニメ「どろろ」
大人向けアニメとしてリメイク
1969年に放送されたアニメ「どろろ」が半世紀の時を経てリメイク。
原作は1967年から1969年にかけて2つの漫画雑誌に連載された手塚治虫の作品です。
この原作漫画とアニメは当時一般受けしませんでした。
手塚治虫の独特な死生観を色濃く反映した暗い内容が、子供向けアニメに合わなかったからです。
2019年版のアニメは放送時間が月曜日の夜10時になりました。
これは何を意味するかといえば、制作陣は視聴者を大人に想定していると考えられます。
原作当時に子供だった読者や視聴者から若いアニメファンまで想定しているのでしょう。
リアルな残酷シーンやバッドエンドもあえて入れてあるのは、大人に見せるアニメだからだと思います。
旧作のテーマ曲「どろろの歌」とリメイク版のOP「火焔」とED「さよならごっこ」。
これらの歌詞を聴き比べてもターゲットが違うのは明らかです。
テーマ曲の役割
火と水
アニメのテーマ曲はオープニングとエンディングで役割が異なります。
大まかにいえばオープニングが陽や動ならエンディングは陰や静と位置付けられるでしょう。
本作はオープニングが火(女王蜂「火焔」に対してエンディングは水(amazarashi「さよならごっこ」)。
特にエンディングは作品が終わった余韻を味わいながら耳にするものです。
この2019年版は本編が旧作とは比べ物にならないほど視聴者の感情を激しく揺さぶる作品といえるでしょう。
「さよならごっこ」は明るい楽曲で癒すのではなく、傷ついた気持ちを静かに癒してくれる感じがします。
第四話「妖刀の巻」は悲劇的な結末は旧作と同じ。
だけどリメイク版は旧作にはない印象的な演出がなされていました。
聴覚を取り戻した百鬼丸が生まれて初めて聞いたのは雨音と田之介にすがる妹の泣き声。
嗚咽と雨音だけが聴こえるシーンに圧倒されます。
続くamazarashiのEDは視聴者にこの物語が描く無情な世界と生きるとは何かを伝えていると思われるのです。
このリメイク版は手塚作品に漂う無情な死生観を見事に描いているといっていいでしょう。
「さよならごっこ」
百鬼丸の宿命
「さよならごっこ」は「どろろ」のエンディングテーマとして書き下ろされました。
この曲についてamazarashiの秋田ひろむは公式ホームページで述べています。
amazarashi New Single「さよならごっこ」 2019.2.13 Release
野武士の頭の子だったどろろは両親を失い孤児となりました。
それでもしたたかに乱世を生き抜いています。
生まれながらに四肢と五感を奪われた百鬼丸は鬼神を倒す殺戮マシーンと化している。
第一話に登場する百鬼丸には感情のかけらもうかがえませんでした。
二人が旅を共にし、百鬼丸が失われた身体の一部を取り戻す度に人間らしさが芽生えていくのです。
叫び声、失った大切な人の名前、闇夜の騒めき、硫黄の悪臭、花の香が百鬼丸と世界との繋がりを描いています。
どろろはそんな百鬼丸を「兄貴」と慕いながら、時には賞金稼ぎに利用もすることも。
互いに持ちつ持たれつで、無くてはならない存在になっていくのです。
2019年版アニメはこうした二人の関係性が細かく描かれており、二人のキャラクターを浮き立たせています。
「さよならごっこ」はそうしたどろろと百鬼丸の宿命的な道行きを歌っているといえるでしょう。
どろろの視点から描かれた歌詞
憂鬱などろろと百鬼丸の旅
憂鬱が風に散らばり 吹きだまって影になる
僕らの足音は 無情を饒舌に諭す
君の瞳の深さを 覗き見て狼狽える
望みなどあったでしょうか この行く先には
出典: さよならごっこ/作詞:秋田ひろむ 作曲:秋田ひろむ
1番のAメロはどろろと百鬼丸の旅の無情を語っています。
戦国時代という乱世と飢餓で荒廃し、陰鬱な空気が漂う世界。
二人には鬼神やあやかしが付きまとい、旅先で出会う人々の日常に魔物との戦いが潜んでいます。
魔物を倒しても決してハッピーエンドではない。
醍醐景光は百鬼丸を生贄にして自分の国の安寧を手に入れました。
百鬼丸が鬼神を倒すごとに領地は天災に見まわれていく。
百鬼丸の義眼は彼の宿命を映すように闇の深さを表しています。
鬼神を倒す旅に目的を達した後に何があるか希望は無いのです。
秋田ひろむは人付き合いが苦手で、ライブでも顔が分からないようにしています。
他者との付き合いの難しさ。
言葉でのやりとりが難しいどろろと百鬼丸の関係になぞらえて考えてみましょう。
「瞳の深さ」に「狼狽える」という表現に見られるように、彼の世界観が垣間見えます。
おどけて笑うのは この道が暗いから
明りを灯すのに 僕がいるでしょう
出典: さよならごっこ/作詞:秋田ひろむ 作曲:秋田ひろむ