人気のボカロP「カンザキイオリ」の【命に嫌われている】

ボーカロイドプロデューサー(通称ボカロP)といえば「カンザキイオリ」。
そのくらい世の中に浸透した天才ボカロPです。
そして「カンザキイオリ」の名を世に知らしめた作品が衝撃のデビュー作【命に嫌われている】ですね。
今回はこの楽曲についてその魅力や歌詞の意味などをご紹介していきます。
現在2019年10月までに再生回数が1000万回を突破している本楽曲の魅力とは一体何なのでしょうか。
きっと歌詞の意味を知ると、これまで聴いていた方も身震いするほどの衝撃を感じるでしょう。
そしてさらに【命に嫌われている】が大好きになると思いますよ。
最後までお楽しみください。
【命に嫌われている】の歌詞を考察
口先だけの歌なんて聴きたくない
正しいとか間違っているとかじゃない
「死にたいなんて言うなよ。」
「諦めないで生きろよ。」
そんな歌が正しいなんて馬鹿げてるよな。
出典: 命に嫌われている/作詞:カンザキイオリ 作曲:カンザキイオリ
誰かが生きることに絶望し、「死にたい」と口にしている状況があるとします。
苦しみながらも生きている人に対し励ますだけの言葉は違うのではないか?
そんな主人公の気持ちが伝わってきます。
ふと疑問に思うのは言葉ではなく「歌」と表現していること。
これは後の歌詞に出てくる「歌」と関連する部分でもあるため後述します。
人を励ますために前向きな言葉をかけるのは当然のこと。
しかし「死にたい」という気持ちの奥にあるものを知ろうともしないで言うのは間違っている。
本当に「死にたい」程苦しんでいる人に、前向きな言葉は響くはずがないのです。
それを知っている主人公は、きっと大切な人を失った、もしくは自分自身が死のうとした…。
そんな過去があるのかもしれません。
「死」を意識するのは悪い事?
実際自分は死んでもよくて周りが死んだら悲しくて
「それが嫌だから」っていうエゴなんです。
出典: 命に嫌われている/作詞:カンザキイオリ 作曲:カンザキイオリ
ここでは自分の命は軽んじているのにも関わらず、人が死ぬのは嫌だという矛盾を指摘しています。
しかしそれは、その人の命が大切だとか尊いものだからということではない、というのです。
単に「自分の知っている人が死んでしまったら悲しくて耐えられない。」ということ。
つまり、命そのものを大切にしているのではなく自分が辛い思いをしたくないという勝手な想いなのです。
これは主人公が自分自身についていっているようでもあります。
前述したように、過去に誰かの「死にたい」に「だめだ」と言ったことがあるのではないでしょうか。
そしてその時の気持ちを振り返ると「死んではいけない」は自分のためだったのだと、気が付いたのです。
自分の命に無関心なのに人の命には関心を持つなんていう奇妙な矛盾。
その原因は自己中心的な考えだった、という意味なのではないでしょうか。
綺麗ごとの世の中に対する批判
それが「素敵」ならこの世は終わってる
他人が生きてもどうでもよくて
誰かを嫌うこともファッションで
それでも「平和に生きよう」
なんて素敵なことでしょう。
出典: 命に嫌われている/作詞:カンザキイオリ 作曲:カンザキイオリ
ここからは他人への関心が希薄になっている今の世の中に対しての不満を感じます。
人を嫌うのも自分の意思ではなくファッション感覚な風潮です。
あいつはみんなに嫌われてるから嫌っておこう。
そんな風に、自分の意思とは関係なく周りに合わせて人すら平気で傷つける若者。
そんなことは今は誰もが感じているはずなのに、「平和が一番」なんてのんきな大人達。
そんな憤りを最後の1行で皮肉たっぷりに歌っているのです。
この歌詞だけ見ても、主人公が自分を含めた現代社会に対して不満を感じていることが分かります。
そして、きっと「自分は違う」とも思っていないでしょう。
【命に嫌われている】全体を通して、自分を含めたすべてに対してのメッセージが綴られているのです。