負のスパイラルが「死」の価値観を変えてしまう

画面の先では誰かが死んで
それを嘆いて誰かが歌って
それに感化された少年が
ナイフを持って走った。

出典: 命に嫌われている/作詞:カンザキイオリ 作曲:カンザキイオリ

ここも社会に対しての警笛です。

毎日のように悲しい事件や事故が報道されている現代。

色んな人が報道されているだけの事実で物事を判断し、それに対する意見を自由に発信しています。

その自由過ぎる言葉たちが、受け取った誰かの人生に影響するとも知らずに…

冒頭で言葉を「歌」と表現していることに違和感を感じました。

そしてここでも「歌」が出てきます。

つまり、【命に嫌われている】では敢えて言葉を「歌」と表現しているのではないでしょうか。

それはなぜなのでしょう。

ここがボカロPであるカンザキイオリだからこそできる表現ではないでしょうか。

多くのボカロ曲が溢れては消えていくネットの中で、痛ましい事件を揶揄する歌もあるでしょう。

それは時に悲劇を生み出すきっかけになり得る、ということを危惧しているのではないでしょうか。 

「死ぬ」ことの意味を考えようとしない世の中

僕らは命に嫌われている。
価値観もエゴも押し付けていつも誰かを殺したい歌を
簡単に電波で流した。
僕らは命に嫌われている。
軽々しく死にたいだとか
軽々しく命を見てる僕らは命に嫌われている。

出典: 命に嫌われている/作詞:カンザキイオリ 作曲:カンザキイオリ

さあいよいよ本楽曲の真意に迫ります。

何故命が僕らを嫌うのか?

それはこれまでの主人公の言葉から次のように解釈できました。

「生きることも死ぬことも自然の摂理であるのに他人の命さえ簡単に奪える世の中になってしまった。」

「頑張って生きなさいなどと、心を殺すような自己中心的な言葉を吐く一方で自分の命は軽んじる。」

そんな矛盾だらけのくだらない世の中なんて、命の方から願い下げです。

僕らが命を選べるんじゃない、生かすも殺すも命が僕らを選ぶんだ。

そんな意味なのではないでしょうか。

無駄な毎日は意味があるのか?

こんな自分でも生きているという現実

お金がないので今日も一日中惰眠を謳歌する。
生きる意味なんて見出せず、無駄を自覚して息をする。
寂しいなんて言葉でこの傷が表せていいものか
そんな意地ばかり抱え今日も1人ベッドに眠る

出典: 命に嫌われている/作詞:カンザキイオリ 作曲:カンザキイオリ

一旦場面は変わり、自分の日常にフォーカスを当てる主人公。

この4行に綴られているのはまさに今生きている自分自身のことです。

「生きる」ために必要最低限のことだけをするしかなくて、そんな自分に自問自答。

主人公は仕事もせず、ただ毎日をだらだらと過ごしているのでしょう。

「生きる」ことと「死ぬ」ことに向き合ってはいるはずの主人公。

しかし、そんな自分だって無駄に生きているだけじゃないか…

そんな現実に落胆してもなおまだ息ができることに、「生かされている」ことを感じています。

生きているだけで十分なのかもしれない。

どれだけ心が傷ついて引きこもっていても、生きているだけで…。

そんな「命に生かされている」ということに気が付きはじめているのです。

それでも時間は過ぎ、いつかはみんな死んでいくんだ

少年だった僕たちはいつか青年に変わっていく。
年老いていつか枯葉のように誰にも知られず朽ちていく。
不死身の身体を手に入れて、一生死なずに生きていく。
そんなSFを妄想してる

出典: 命に嫌われている/作詞:カンザキイオリ 作曲:カンザキイオリ

「生かされている」私たちは、当たり前のように歳をとっていきます。

今がどれだけ辛くともいつかは誰もがその人生を終えていくのです。

そんな現実を受け入れず、「自分は死ぬわけない」と高をくくっている人たち。

それは単なる妄想に過ぎないのに…。

自分の命なんて惜しくないのに

大切な人の命は守りたいという矛盾