不思議な合唱曲?!
合唱曲「野生の馬」は現在も中学生の合唱コンクールなどで歌われる曲です。
しかし、その曲調の暗さと歌詞の不明瞭さが目立ちます。
合唱曲といえば「COSMOS」や「証」など有名曲がたくさんありますね。
それらの曲は、前向きで分かりやすい表現が使われています。
しかし、それとは裏腹なこの曲の歌詞。
馬の筋肉だとか走る様子だとかが描かれているかと思えば、馬がいきなり止まったり。
曲も細かいリズムを刻んでいたのに、いきなり止まったり。
「結局何が言いたかったの?」となってしまいがちです。
今日はそんな謎多き合唱曲「野生の馬」の歌詞を解説していきます。
TikTokでも少し話題になったこの曲。
合唱コンクールでこれを歌う予定、あるいは歌った経験のある人は必見です!
走っていく馬の疾走感
曲名の通り、野生の馬を描いている
この曲は、曲名「野生の馬」の通り、野生の馬を描いた曲です。
ピアノのリズミカルな伴奏、また歌の細かいリズムの刻み方は「馬が走る様子」を表しています。
途中でアルトが「ドゥンドゥンドゥン」と、擬態音を歌ったりしますね。
そういったところからも、この疾走感の演出に対する作り手の技巧と熱意が見て取れます。
では実際に歌詞の解釈をしていきましょう。
この曲の視点は誰?
野生の馬は なぜ駆けていく
首もたげ 尾をなびかせて
筋肉の躍動 胸に かけていく
出典: 野生の馬/作詞:中村千栄子 作曲:岩河三郎
この曲は「野生の馬」を描いていると上で書きましたが、ただ客観的に事実を書いているだけではありません。
そこには作者の伝えたいこと、本当の主題というのがあるはずです。
それらを掴むために注目すべきなのが、この歌詞の「視点」でしょう。
馬として仲間のことを歌っているのか。
飼い主として観察しているのか。
あるいはナレーターのようにただ叙述しているだけなのか。
注意深く歌詞を見てみてください。
ただ馬が走る様子をカメラにおさめるように書き記しているわけではないことがわかると思います。
「なぜ」といっていますね。
これから馬の視点ではないことがわかるでしょう。
では誰なのか。
これは「人間」ではないでしょうか。
飼い主でも馬好きでもなく、抽象的な「人間」の視点。
人間の視点から「なぜこんな様子で駆けていくのか」といっているのです。
詳しいことは後の歌詞に出てきます。
みんなが笑ってしまう?!
この曲は往々にしてクラスの人気が取れないことがあります。
その理由はこの曲調にもあるのですが、歌詞が一番の理由でしょう。
「筋肉」という言葉の選び方などが少し滑稽に見られることがあるようです。
中学生にしてみれば「筋肉ムキムキの馬の走る様子」が淡々と綴られているように見えるのかもしれませんね。
勇敢な馬の描写
夏の嵐の中を 稲妻に向かって
野生の馬が どこまでも駆けていく
出典: 野生の馬/作詞:中村千栄子 作曲:岩河三郎
ここでも、馬の様子が鮮明に描写されていきます。
「夏の嵐」といえば、厚い積乱雲が引き起こす大雨と雷の音が聞こえてきそうです。
場所は岩肌の突き出た山でしょうか。
そんな中を野生の馬が駆けていく様子がありありと描かれています。
そこで、この部分のポイントとなるのは、「稲妻」です。
なんと稲妻に向かって走っているというのです。
これは嵐のひどい方向に自分から突き進んでいるということ。
「野生の馬の勇敢さ」が表されています。
そんな稲妻が吹き荒れる方向に向かって、「止まることなく」進んでいくのです。
この辺りから、聞き手も「なぜ」と思い始めるかもしれません。
なぜ、なんのために野生の馬は必死で駆けていくのか。
それも危険な場所へと。
謎は深まるばかりですね。
なぜ立ち止まったのか?!
ある時馬は立ち止まる
自然の神秘(ふしぎ)感じてか
目を瞑り 銅像のように動かない
出典: 野生の馬/作詞:中村千栄子 作曲:岩河三郎