私たちの住む街にいる人々は、みな義理堅く真面目な性格だといいます。
約束は必ず守り、強くお互いを信頼している。義理堅いとはそういったニュアンスの言葉ですね。
そのような内面を持ちながら、さらには体格のいい人が多い様子。
そういった人を見ていると、みな精神的にも肉体的にもタフな人のようにも思えてきます。
ですが、意外と人は見かけによらないもの。
タフそうに見える人が、いつでも本当にタフなわけではないようですね。
そして都市に住む人々も、皆弱っているんだと歌っています。
これはかつて輝いていた都会のイメージとは今は違う。
昔に比べ様々な社会問題が露呈した現代を歌っているのだと思います。
その理由は 人それぞれ
耐え抜くためには仰け反れ
この街はとうに終わりが見えるけど
俺は君の味方だ
出典: https://www.mangalyrics.com/くるり-琥珀色の街、上海蟹の朝-歌詞.html
ここで歌われる終わりがみえる"街"はどういったものをさすのでしょうか?
この歌は直接的には上海蟹というキーワードが出てくることから、上海だと考えられるかもしれません。
しかしおそらくはそうではないのです。
大きく時代が変容しているなかで、ここではかつてあった都市イメージが失われ。
街へのノスタルジーが歌われているのだと思います。
終わりが見えている街、と聞くと、あまりいいイメージは湧きませんね。
色彩のない荒廃した、あとは朽ちていくだけの街。
そんな退廃的なイメージが浮かぶのではないでしょうか。
しかし、そんな荒廃した景色が広がるこの街でも、僕は君の味方でい続けるよ。
まるでそうやってこちらを励ましてくれているような、そんな言葉としても受け取れるフレーズです。
過去を見るより未来を見て
何はともあれ この街を去った
未来ではなく 過去を漁った
明後日ばっかり見てた君
それはそれで 誰よりも輝いてた
出典: https://www.mangalyrics.com/くるり-琥珀色の街、上海蟹の朝-歌詞.html
街を去った僕。未来ではなく過去に思いをめぐらせていたのでしょう。
過去を見る、ということは、人間であれば誰しも行いたくなるものです。
あの頃はよかった、昔は楽しかった。
そんな風に過ぎ去ってしまった過去を思い出し、懐かしんだことは誰しも経験のあるものでしょう。
もちろん一概にそれが悪いこと、というわけではありません。
ですが過去にばかり縋り、今や未来が見えなくなるのはあまりいいことではありませんね。
それに対して、明後日ばかりをみていた君。この君とは誰でしょうか?
そしてその君は輝いていたと言います。
過ぎ去った過去の事は目を向けず、これからどうなるかわからない未来を見ていた君。
きっとその瞳はたくさんの期待や予想で、きらきらと輝いていたのではないでしょうか。
確かにもしかしたらこの街では、大きく期待できるほどの未来はこれからやってこないかもしれません。
ですがその未来を作っていくのは、他でもない私たち自身なのではないでしょうか。
ずっと泣いてた 君はプレデター
決死の思いで 起こしたクーデター
もういいよ そういうの
君はもうひとりじゃないから
出典: https://www.mangalyrics.com/くるり-琥珀色の街、上海蟹の朝-歌詞.html
くるりの岸田はその君に対して、もうクーデターはいいんだと歌っています。
もしかしたら君は未来を見ながら、望まない未来を変えようと。
1人で必死の思いで、これまで戦っていたのではないでしょうか。
そんな彼の姿を、誰が笑うことができるでしょうか。
行動した人間を、行動しない人間が笑う資格は一切ありません。
ひねくれた人たちが何もしない間に、行動を起こしていた彼。
それは間違いなく、とてつもなく大きな一歩なのです。
そしてそんな彼に対して、もうひとりじゃないと歌っています。
かつて栄えた街へ思いを馳せる
上海蟹食べたい あなたと食べたいよ
上手に割れたら 心離れない 1分でも離れないよ
上手に食べなよ こぼしても いいからさ
琥珀色の街
出典: https://www.mangalyrics.com/くるり-琥珀色の街、上海蟹の朝-歌詞.html
ここで現在、かつての東京のように勢いがある上海のイメージがでてきます。
そして上海蟹を食べたいと歌われています。とてもポップな部分ですね。
楽曲のいわゆるサビのフレーズであるこの箇所。
歌詞の中に中国の台頭が感じられます。
失われたイメージは、かつて繁栄していて未来がつまっていた都市のイメージでしょう。
失われた都市イメージと現在の上海
80年代ごろまでを代表する洒落た都市イメージがきっと現代は失われた時代なのでしょう。
そしてそういったイメージを現在代表する象徴として上海が登場します。
人々が都市に憧れ、田舎から中心を目指して夢をもって上京する。
華やかな生活とダンスミュージック。
そういった都市的生活が、現代では崩壊の途上にあると岸田は考えているのかもしれません。
そしてまだそういったイメージが生きている上海がここではメタファーとして歌われていると考えてもいいでしょう。
この歌はきらびやかな都市のイメージが失われつつあるからこそ、そういったかつての繁栄に対するノスタルジアがこめられていると思います。
くるり岸田の変遷
そこからオルタナティブロック、エレクトリックサウンド、オーケストラの導入、民謡のような音楽性など。
彼らはこれまでに様々な楽曲を生み出してきました。
それはそのままポップミュージック、ロックの歴史を上書きするような知性があります。