「永遠の16歳・松本伊代」
作家陣が豪華
今ではすっかりママドルとしての人気を確立している松本伊代。
彼女が初めてお茶の間のテレビに現れた頃の衝撃は鮮烈でした。
華奢で細い身体つきとか細い歌声。
しかしなぜか元気がある少女、それが松本伊代でした。
「花の82年組」の中でもとりわけ人気が高かった松本伊代。
彼女をスターダムにのし上げたのはやはりデビュー曲「センチメンタル・ジャーニー」の衝撃でしょう。
作詞は音楽評論家・作詞家の湯川れい子、作曲は1980年代の歌謡シーンの大御所・筒美京平。
いま考えると途轍もない豪華な作家陣でした。
この曲のイメージが定着して松本伊代は「永遠の16歳」です。
少女と大人の間にいる女性のイメージを一身に体現した松本伊代。
花の82年組
松本伊代のデビューは1981年10月です。
ただし賞レースへの参加資格の関係で1982年のアイドルたちと同期になります。
いわゆる「花の82年組」で中森明菜、小泉今日子、早見優、石川秀美などのスーパー・アイドルたちと同期です。
彼女は「花の82年組」のうち天然で元気良いキャラクターが支持されました。
当時、38キログラムしかなかった体重が示すとおり線は細い印象です。
歌声もか細かったのですが天真爛漫な明るさが彼女を輝かせていました。
では実際の歌詞を見ていきましょう。
大量消費社会への危惧
雑誌文化の興隆
読み捨てられる 雑誌のように
私のページが めくれるたびに
放り出されて しまうのかしら
それが知りたくて とても
出典: センチメンタル・ジャーニー/作詞:湯川れい子 作曲:筒美京平
歌い出しです。
雑誌文化がまだまだ攻勢だった頃の歌詞でしょう。
作詞家の湯川れい子は元々「スイングジャーナル」という雑誌に投稿して陽の目を浴びました。
色々なジャンルに特化した雑誌がたくさんあり、アイドル専門誌も毎月山のように書店へ入荷。
アイドル文化をテレビ業界・ラジオ業界にプラスして雑誌媒体が縁の下の力持ちになって支えていました。
神保町などの古書店にゆけば貴重な資料がいまでも安価に手に入るはず。
ただし雑誌は単行本などと較べて「軽い」分賞味期限のようなものが短いのです。
これは今も当時も変わらない性質であり仕方のないこと。
しかし丹念に書いた記事、予算を使ったグラビアが短期間に消費されてしまうのはやはり悲しいものです。
湯川れい子は大量消費社会の中で独特な危機感を抱いていたのでしょう。
最初に雑誌文化の消費期限について触れます。
モノのように捨てないで
次に「私」の存在が「あなた」にとってそのような消費される質のものではないかと心配を投げかけます。
雑誌の読み捨てのように投げ捨てられたら悲しすぎる。
根本的に人は商品ではないからです。
とはいえアイドル市場は人という実存を商品化してしまいます。
それは本来とても恐ろしいことです。
湯川れい子の作詞はアイドル向けの歌詞であっても中々深い社会的洞察を加えます。
一見、乙女の心情を歌にしていているようであってももう少し掘り下げてみないと真相が分からない。
音楽批評からスタートした作家ですが、社会への批評眼というものも正確なのです。
ただし、松本伊代は消費されても疲弊することはない元気なお嬢さんでした。
天然で明るいタイプの人柄がお茶の間に伝わってくる。
稀有な人柄でもあり、だからこそ現在でもママドルとしての地位を不動のものにし得たのでしょう。
ジャズのスタンダード「センチメンタル・ジャーニー」
浅川マキも歌った名曲
あなたの瞳の奥に旅してく
わたしの センチメンタル・ジャーニー
出典: センチメンタル・ジャーニー/作詞:湯川れい子 作曲:筒美京平
時代がまだ「おセンチになる」などセンチメンタルという言葉を頻繁に使っていた頃の歌詞です。
英語の「sentimental」がカタカナ語として日本文化に移植されました。
感情が弱々しい状態や傷つき不安になりやすい感情の状態を指します。
一方、「ジャーニー」はアメリカ合衆国のロック・バンドの名前で有名な「journey」という言葉から。
長い旅やあてのない旅という意味です。
この2つの単語を合わせて「センチメンタル・ジャーニー」と湯川れい子は銘打ちます。
しかしそこはジャズ評論家でもあった湯川れい子です。
実はジャズの名曲に「Sentimental Journey」というレパートリーがあります。
ドリス・デイという女性シンガーの歌唱でミリオンセラーになりました。
邦題は「感傷旅行」。
歌い出しの一節を聴いていただければ「ああ、あの曲か!」と思い起こされる方も多いはず。
日本では1976年に浅川マキが日本語詞でカヴァーしています。
収録されているのは「灯ともし頃」という坂本龍一や近藤等則も参加したアルバムで屈指の名盤です。
それにしても松本伊代と浅川マキがともに「センチメンタル・ジャーニー」というタイトルの曲を歌った。
違う曲ではあってもタイトルは同じ。
浅川マキは一時期、時代の寵児であったので湯川れい子が知らないはずがないのです。
この不思議な交錯、本来は混じり合うはずのない2人の交錯が意図されたものかどうかは分からない。
それにしても不思議なご縁です。