名曲『知床旅情』

作者は俳優の森繁久彌

加藤登紀子「知床旅情」の歌詞を解説!笑うピリカって誰?北海道の情景に重ねた別れのメッセージが切ない…の画像

1960年に映画の挿入歌として発表された『知床旅情』。

発表と同時に多くのアーティストに歌われ、大ヒットしました。

作者は俳優の森繁久彌(もりしげひさや)。

森繁さんは2009年に96歳でこの世を去りましたが、この曲は前にも増して有名になっていますね。

さて、タイトルにある「知床(しれとこ)」というのは、いったいどこの地名なのでしょうか?

日本の極北に位置する知床半島

特色は雄大な自然

知床半島(しれとこはんとう)は、北海道斜里郡斜里町と目梨郡羅臼町にかけてあり、オホーツク海の南端に突出した半島。

出典: https://ja.wikipedia.org/wiki/知床半島

タイトルにある「知床」というのは、北海道にある「知床半島」のことです。

日本の極北に位置するこの半島。

森繁さんはこの半島出身でも北海道出身でもありません。

では何故、彼は『知床旅情』を作ったのでしょうか?

映画ロケがきっかけ

最初は違うタイトルだった

加藤登紀子「知床旅情」の歌詞を解説!笑うピリカって誰?北海道の情景に重ねた別れのメッセージが切ない…の画像

1960年森繁さんは、ある映画のロケで知床半島にある羅臼(らうす)町に滞在しました。

その映画とは『地の涯に生きるもの』。

おそらく長期滞在だったのでしょう。

厳しい自然と共生している地元の人々の魂に触れ、この歌を作りました。

最初は『知床旅情』というタイトルではなく、「さらば羅臼よ」というタイトルでした。

仮のタイトルですね。

「さらば羅臼」は、『知床旅情』と同じメロディーですが、歌詞が違います。

その後、森繁さん自身が歌詞に手直しを入れて「オホーツクの舟歌」になります。

さらに歌詞を修正したのが『知床旅情』です。

森繁さんは俳優として有名ですが、戦前から歌手として活動しています。

また、アナウンサーとして活躍していた時期もありました。

アナウンサー時代には作曲もしていたのだとか。

彼は今でいうマルチタレントですね。

多彩だった森繁さん。

そのような人だったからこそ、映画撮影中にも関わらずメロディーが浮かんできたのでしょう。

ちなみに『地の涯に生きるもの』はDVD化されていませんので、現在この映画を見る機会はなさそうです。

『知床旅情』をカバーし、有名にした加藤登紀子

1970年のアルバム「日本哀歌集」に収録

加藤登紀子「知床旅情」の歌詞を解説!笑うピリカって誰?北海道の情景に重ねた別れのメッセージが切ない…の画像

森繁久彌が「知床半島」にインスピレーションを得て作った『知床旅情』。

作られたのは1960年ですが、正式な音源発売は1965年になります。

その後、加藤登紀子が1970年に発表したアルバム日本哀歌集」で、この曲をカバーしました。

翌1971年にはオリコンのヒットチャートで7週連続の1位を獲得、同年のオリコン年間チャートで2位にランクインした。

出典: https://ja.wikipedia.org/wiki/知床旅情

引用した通り、『知床旅情』は1971年のオリコンチャートで第1位を獲得

同じく年間チャートでも第2位に入るなど大ヒットしました。

『知床旅情』は、言わば「ご当地ソング」の先駆けです。

「知床半島」という限られた場所に絞ったテーマが、何故こんなにもヒットしたのでしょうか?

同楽曲のヒットの要因としては、当時日本国有鉄道がディスカバー・ジャパンのキャンペーンを展開していたことの相乗効果もあったといわれている。

出典: https://ja.wikipedia.org/wiki/知床半島