どんな曲にも共通していえることですね。
アーティストのメッセージは曲全体に存在しますので、通常通り髪を振り乱しながら歌っていても伝わるものはあるのでしょう。
しかし、サビにおけるメッセージ性の濃さは他の比ではありません。
この20秒間だけ動きを止めることで、伝達効率は段違いに良くなったはずです。
愛や憎しみ、欲望までも全てを飲み混んで
混ぜて満たしてゲロになるまで全てを吐き出したい
正解も不正解も真偽も全てを飲み込んで
最後笑って眠りにつく為、全てを溶かしていきたい
出典: 夜想曲/作詞:小池貞利 作曲:小池貞利
音楽活動で生きていくのは「好きなことを仕事にしている」と捉えられがちです。
それはある意味正解で、ある意味不正解といえるでしょう。
tetoはインタビューで、バンド活動自体は楽しんでやっているのだと語っています。
しかしアマチュアバンドとは違い、プロはバンド外との折衝も必要です。
こんなはずじゃなかったのに……、と思ってしまうことも多々あるのではないでしょうか。
でも「バンドは楽しい」という現状を壊さないためにも、嫌なこと、腹が立つことともうまく付き合っていかなければなりません。
飲み込んでもなかなか消えやしない憎しみや、押し付けられた判断基準、常識。
これらを大量の消化液で跡形もなく消し去って、気持ちよく夜を迎えようと歌っているのでしょう。
プロのバンドに限らず、平凡な日常を送っている人々も、この歌詞を聴いて得るものは沢山あるはずです。
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Vo.小池貞利だけが激しく見えるのはなぜ?
指で小池の姿を隠し他のメンバーだけを見てみると、なかなか激しく動いているではありませんか。
他のメンバーの動きが霞むほど小池が激しく動いているから、という回答がひとつ挙げられるでしょう。
しかしもうひとつ、推測できるのです。
あるはずのものがない!
ベースやギターとアンプ・エフェクターを繋ぐもの。そう、シールドがありません。
MVではアンプなんて必要ありませんから、当たり前ですね。
小池貞利のギターももちろんシールドがありませんし、そもそもライブではワイヤレス環境を敷いているバンドが多数です。
しかしMVの中で1本だけシールドが使われています。
それは、ボーカルマイクのシールドです。
シールドによる視覚的効果は絶大
小池は、首にシールドを巻き付けてスタンドを担ぎ上げるといったライブパフォーマンスをします。
これはパフォーマンスではなく、結果的にそうなってしまっただけなのかもしれませんが。
動いて跳ねて回って歌って、動くたびにシールドは揺れて体に絡まっていきます。
もしシールドがなかったらどう見えますか?
激しく動いていても、その激しさを物語る「証」が足りないように感じませんか?
(個人差はあります)
つまり『夜想曲』のMVで小池だけが激しく見える理由のひとつは、マイクシールドの存在にあるのだと推測できます。
落下したマイクに対して小池貞利はどう対応したのか
2番に入ると突然、スタンドからマイクが抜けてしまいます。
正確に表現すると、シールドからマイクが落ちてしまったようです。
その後せっせとシールドをつなげる姿が映し出されますね。
「MVだから」という妥協をしないのが素敵です。
しかしその時点でスタンドは倒れており、マイクは地面に投げ出され、マイクなしで歌い始めます。
ここは「MVだから」良いのでしょう。潔さも素敵です。
マイクで歌うためにはスタンドを立て、マイクを取り付けなければなりません。
「マイクで歌おう」と思い立った小池は、どのような行動に出たのでしょうか。
自分に合わせずマイクに合わせる
トンネルのような薄暗い場所で、足元は泥と砂利を混ぜたような状態。湿っています。
小池は、転がったマイクを手に取ることはせず、何と地面に横たわり、マイクに向かって歌ったのです。
マイクを持ってくるのではなく、自分がマイクの前に移動したという形になるでしょうか。
ギターも弾いていますので手がふさがっているからかもしれません。
しかし、あえて泥の中に身を横たえたのではないか、という考えも浮かびます。
不測の事態が起きたってtetoは進む
愛や憎しみ、欲望までも全てを飲み込んで
混ぜて満たして光になるまで全てを吐き出したい
空が暗くて膝をついても何度間違えようとも
最後笑って眠りにつくまで全てを抱きしめていたい
いずれ朽ちて無くなってしまうまでなるがままで歩いていくのです
出典: 夜想曲/作詞:小池貞利 作曲:小池貞利