例えばテレビゲームに出てくるロボットのキャラクターが、慣れない人間の言語を喋るとき…。

膨大な知識をもってはいますが、言葉の組み合わせや発音に生じるわずかな非人間的で機械的な違和感

これらを様子を表現するため、ロボットの喋る言葉が漢字とカタカナのみで表されるときがあります。

カタコトに近い状態、といったらご理解いただけますでしょうか。

もしこの歌詞の言葉を発しているのがボイジャーだとすれば…という仮定で歌詞をみてみましょう。

機械に心を

ワタシハ ドンナニ離レテモ イツダッテ僕ノ 周回軌道上
アナタハ ドンナニ離レテモ イツダッテ君ノ 周回軌道上

出典: flyby/作詞:藤原基央 作曲:藤原基央

歌詞の一行目に出てくる2つの一人称はボイジャー自身を表したものと捉えることができます。

まだ言葉の使い方が下手で、一人称に統一性がありません。

そして、二行目に出てくる2つの二人称はボイジャーを開発したNASAのメンバーでしょうか。

本来心を持たない機械に感情を芽生えさせています。

ボイジャーが親に対して感謝と忠誠心をもっている…という想像ができますね。

できること

応答願ウ
心ノ裏側ヲ グルリト回リ戻ッテキタ
flyby 距離ハソノママデモ 確カニスグ側ニ居タ
バイバイ 忘レテモ構ワナイ 忘レナイカラ
応答願ウ ズット 応答願ウ
教エテモラエタ 声ヲ乗セテ メロディーヲ送ル

出典: flyby/作詞:藤原基央 作曲:藤原基央

もし電波障害が生じても、故障しても。

バッテリーが寿命を迎えかけたとしても、新しい探査機が開発されたとしても続けること…。

それは、プログラミングされた電波というメロディーを地球へと送ることです。

このように解釈すると、少し悲しい物語になりますね。

歌詞考察その②「弱い自分の恋物語」

まずは一人称が「機械」という仮定で考察をしてみました。

では一人称が「人間」という仮定で考察をしてみるとどうなるでしょうか。

僕と君の、外面と内面

在りのままの自分の姿を「僕」としましょう。

他人に自分自身をアピールするときにはついつい誇張してしまいがち。

「僕」ではあるんだけれど、ちょっと良いように見せた偽りの自分が「ワタシ」という存在。

人間には多かれ少なかれ承認欲求というものがあるので、「ワタシ」の存在は仕方ないことではありますね。

ただ、この「ワタシ」は「僕」から生じているものなので、偽るにしても限界があります。

つまり土台の「僕」からは一定の距離以上離れることができないということ。

見てくれはいいけれど中身はもろい「ワタシ」…バンプの歌詞によく出てくる「弱い自分」が連想されます。

そして、二人称は恋人という仮定にしてみましょう。

「君」というのが在りのままの恋人の姿

でも、「僕」の前では駆け引きや気遣いなどの様々な理由で「アナタ」に化けています

たとえどのような姿に化けていようとも、「僕」は「君」を真摯に愛している

だから在りのままの姿や本心を見失うことは決してありません

地球の周りを回る月のように、適切な距離をキープして見守っているのです。

衛星の「衛」は、衛兵の「衛」ですからね。

想いの重力

〇月×日
本日モ通信試ミルガ 応答ハ無シ
アナタハ ドンナニ離レテモ 君ノ心ノ 周回軌道上

出典: flyby/作詞:藤原基央 作曲:藤原基央

離れていくのに、一定の距離を保つことができる…。

この歌詞は一見矛盾しているように見えます。

ボイジャーの話に置き換えると、地球からはずっと離れていくだけなのにどうして周回できるのか…。

それは、自分自身の「相手を想う力」という重力が引き寄せているからです。

10の力で離れていっても、10の力で想って引き寄せていれば、プラスマイナスはゼロになります。

相手が恋人であっても同じこと。

想う力で引きつけているわけですから、物理的距離が離れても関係ありません。

その力はとても偉大なものです。

きっとまだまだ解釈はある