亡き母への想い
人間活動からの再始動
約6年ぶりのアーティスト活動の再始動のきっかけとなった「花束を君に」「真夏の通り雨」の2曲同時配信リリースですが、その中でも「真夏の通り雨」は2014年に「NEWS ZERO」から依頼を受け、母・藤圭子の死後に始めて歌詞を書き始めた曲としてより一層思い入れがこもった楽曲となりました。
宇多田ヒカルはニュース番組に沿うような言葉を選ぶことに不安を覚えながらも、美しい日本語を書きたいという気持ちで歌詞を書き上げました。
どんな歌詞の内容にしていくかという葛藤の中で根底にあったのは、ニュースとは「人」ということだそうです。つまり社会のことも、国のことも、すべて「人」がいることで成り立っています。
このように人のことを歌詞にして歌うことでニュース番組に沿うような、そして、リスナーに寄り添うような楽曲に仕上げたのです。
具体的には亡き母を「あなた」に重ね歌詞を書いていったそうですが、作品に昇華するためには色んな人に想いを馳せることがプロセスとして大事と考え、ひとつのストーリーを歌詞の世界に落とし込みました。
それは「40歳~50歳近くの女性(わたし)、自分が前に進んでいくためにどうしてもその人を置いていかなくてはいけなかった。そして、それは今でもつらい。」という内容です。
母への想いを繋げたアルバム
さらに「真夏の通り雨」は配信だけでなく2016年9月28日に発売された6枚目のアルバム「Fantôme」の7曲目に収録され、CD化が実現しました。
このアルバムタイトルの読み方は「ファントーム」でフランス語で「ゴースト」や「幻」という実態のないものを指します。
「幻」に亡き母を重ね、その想いを綴ったアルバムで、2017年のCDショップ大賞を受賞するほどのセールスを記録しました。
不思議なミュージックビデオ
公式からフルバージョンで公開されているミュージックビデオです。
内容は夏の情景がどんどん移り変わっていく内容になっていますが、観てみるとなんだか不思議な気分になります。
一体、この不思議な気分の原因は何でしょう。何回か観て気が付きました!
なんとこのミュージックビデオ、タイトルが「真夏の通り雨」なのに一度も雨の場面が出てこないのです。
ということは、つまり「雨」は違うことを表現しているのではないでしょうか。
次のセクションでその歌詞に迫っていきます。
「幻」を追いかけ続ける歌詞の世界
「真夏の通り雨」の歌詞を紐解く
夢の途中で目を覚まし
瞼閉じても戻れない
さっきまで鮮明だった世界 もう幻
出典: 真夏の通り雨/作詞:Utada Hikaru 作曲:Utada Hikaru
ピアノの音、そして、宇多田ヒカルの声のみで始まっていく冒頭部分は一気に世界観を作り上げていきます。
この世界の中では、さっきまで見ていた夢に戻りたいけど戻れない、そのジレンマが歌われています。
では、宇多田ヒカルにとってこの曲を作った時のジレンマは一体なんでしょうか。
それは母を失ってしまったことです。亡き母には夢の中では鮮明な姿で会うことが出来ますが、目が覚めて現実に引き戻されてしまうと目を瞑るだけでは会うことはできません。
そのジレンマを「幻」と表現し、またアルバムのタイトルである「Fantôme」にも重ねています。
汗ばんだ私をそっと抱き寄せて
たくさんの初めてを深く刻んだ
出典: 真夏の通り雨/作詞:Utada Hikaru 作曲:Utada Hikaru
子供の頃を回想していくような歌詞になっています。
何も分からずに無邪気に走り回っていた頃に母に教わったことがたくさんあるのではないでしょうか。
それは花の名前でも、動物の名前でも、音楽のことでも、何でも良いのです。
その一つ一つが心に刻まれています。
揺れる若葉に手を伸ばし
あなたに思い馳せる時
いつになったら悲しくなくなる
教えてほしい
出典: 真夏の通り雨/作詞:Utada Hikaru 作曲:Utada Hikaru
この「若葉」という歌詞からは季節が巡っていることが窺えます。
いくつも季節を巡り、亡くなった時期を通り過ぎる度に母を思い出しますが、いつになったら悲しくなるのかと自分に問いを与えています。つまりどれだけ時間が経っても「悲しくなることができない」のです。
これはきっと現実を受け入れることができていないのだと考えられます。
そう考えると冒頭の歌詞にも繋がってきます。受け入れられないからこそ、夢に逃げて、また夢の世界に戻ろうとするほど現実と向き合うことが出来ていないのです。
それほど大切な人を失うつらさは大きいものなのです。
今日私は一人じゃないし
それなりに幸せで
これでいいんだと言い聞かせてるけど
出典: 真夏の通り雨/作詞:Utada Hikaru 作曲:Utada Hikaru