人間活動中に宇多田ヒカルは結婚も出産も経験しました。なので、母を失った後も、自分の周りには大切な人はどんどん増えていっています。

そんな今の状況をこれでいいんだと自分自身に幸せなものだと言い聞かせています。とはいえ、なぜ言い聞かせなければならないのでしょうか。

勝てぬ戦に息切らし
あなたに身を焦がした日々
忘れちゃったら私じゃなくなる
教えて 正しいサヨナラの仕方を

出典: 真夏の通り雨/作詞:Utada Hikaru 作曲:Utada Hikaru

その理由が描かれているのがここの歌詞です。ここで出てくるあなたは「母」のことで、勝てぬ戦は「母の偉大さ」を表現しているのだと考えられます。

つまり人間としてもアーティストとしても母のことを尊敬し、心の中では追い付け追い越せと対抗心を燃やしていたのではないでしょうか。

その対抗心を燃やす相手がいなくなった、この喪失感を抱えたまま、今の生活を幸せと呼ぶのは難しく、本当の意味で今の生活を幸せと感じるためには現実を受け入れなければいけないということを自分で理解しているのです。

誰かに手を伸ばし
あなたに思い馳せる時
今あなたに聞きたいことがいっぱい
溢れて 溢れて

出典: 真夏の通り雨/作詞:Utada Hikaru 作曲:Utada Hikaru

「誰かに手を伸ばし」は周りの人々と関わっていくことを表しています。

人と関わるということは非常に難しいことです。それはパートナーでも自分の子供でも完全に相手の気持ちになって対応するのは至難の技です。

そんな時に人生の先輩である母がいてくれたらどれほど心強いかという気持ちが強く感じ取れる歌詞になっています。

木々が芽吹く 月日巡る
変わらない気持ちを伝えたい
自由になる自由がある
立ち尽くす 見送りびとの影

出典: 真夏の通り雨/作詞:Utada Hikaru 作曲:Utada Hikaru

ここは前述の「若葉」にも繋がってきますが、時間が経つことでも受け入れられない、そして、変わらない気持ちがあることを伝えています。

また「自由になる自由がある~」以降の歌詞からは「見送りびと」という言葉からも「死」というものを歌っているのではないでしょうか。

自分の命を自らの手で断った母である藤圭子の死因はまさに「自由になる」選択でした。もちろんそれを選択する自由も彼女にはあったのです。

その行動を取った母に対し、何もできずにただ翻弄された宇多田ヒカルは虚しい感情を「立ち尽くす」という言葉で表現しているのです。

宇多田ヒカル「真夏の通り雨」PV動画&歌詞の意味解説!の画像

思い出たちがふいに私を
乱暴に掴んで離さない
愛してます 尚も深く
降り止まぬ 真夏の通り雨

出典: 真夏の通り雨/作詞:Utada Hikaru 作曲:Utada Hikaru

共に重ねた時間は嘘ではないので、確実に思い出として心の中に存在しています。

それを思い返す度に、胸は苦しくなりますが、苦しくなる胸を感じれば感じるほど、母への愛情が深かったことを自ら知ることになるのです。

そして、「真夏の通り雨」という言葉がついに登場してきました。ここまで一切触れることのなかったこの言葉にはどんな意味がもたらされるのでしょうか。

想像するに「通り雨」は「翻弄された母の急な死」を表しているのだと考えられます。

通り雨とは「さっきまでの天気は何だったのだろう」と思うほど、急に降り始め、急に止んでしまいます。傘がいるのか、いらないのか、洗濯を干していいのか、ダメなのか、判断の難しい通り雨と同じくらい、母の死にも翻弄されたのでしょう。

また「真夏」という言葉も藤圭子の無くなった8月の時期と重なってきます。

しかし、ここではすぐに止むはずの「真夏の通り雨」が降り止まないものに変わっています。

夢の途中で目を覚まし
瞼閉じても戻れない
さっきまであなたがいた未来
たずねて 明日へ

出典: 真夏の通り雨/作詞:Utada Hikaru 作曲:Utada Hikaru

前のセクションの「降り止まない」という歌詞からも、そして、ここの「さっきまであなたがいた未来」という歌詞からも想像できることは、やはり「母の死という大きな出来事の螺旋から抜け出せない」ということでしょう。

その大きな出来事は心の中に雨を降らせ続け、本来ならば母が存在した未来を今でも求め続けさせてしまうのです。

ずっと止まない止まない雨に
ずっと癒えない癒えない渇き

出典: 真夏の通り雨/作詞:Utada Hikaru 作曲:Utada Hikaru

最後はこの二節を繰り返します。雨は止まないにも関わらず、渇きは癒えることを知りません。

それは受け入れることのできない現実の重さと、母がいない喪失感をどうしても埋められないことを端的に表現しているのではないでしょうか。

最後まで深い深い虚しさを歌い続けながら締めくくっていきます。

「花束を君に」とのリンク

同時配信リリースされた「花束を君に」と「真夏の通り雨」ですが、歌詞を紐解いていくと色んなリンクする部分を見つけることが出来ます。

その中でも一番分かりやすくリンクしているのは

  • 花束を君に→涙色の花束
  • 真夏の通り雨→真夏の通り雨

ではないでしょうか。 涙を流すほどの悲しみを連想できる言葉がどちらの曲にも含まれています。

それほどまでに亡き母への想いが宇多田ヒカルの中で強いものであることを感じ取ることができます。

まとめ

宇多田ヒカル「真夏の通り雨」PV動画&歌詞の意味解説!の画像

宇多田ヒカルは2010年よりアーティスト活動を休止し、人間活動へ力を注ぎました。

この約6年の人間活動の中で、母の死や結婚、出産と人生の中でもターニングポイントになるような出来事を一気に経験したのです。

また音楽というものは自身の経験の中で生まれていくものです。深い悲しみも、抱えている不安も音楽に表れます。

そうやって音楽に真摯に向き合い、また自分の人生にも大きく向き合った作品が、「真夏の通り雨」と言っても過言ではないでしょう。

また曲中では、深い悲しみだけでなく、所々に見える「幸せ」や「明日」という言葉は少ない分、より力を持っているようにも感じます。

日々、悲しいことやつらいことがあっても前に進んでいく気持ちを伝えるニュースにもマッチする部分はあるのではないでしょうか。

人間活動を終えて、人間としてもアーティストとしても一回り成長した宇多田ヒカルの今後の活動に期待です。

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