華麗なる受賞歴

『きよしのズンドコ節/氷川きよし』紅白で初の〇〇に!実はカバーだった?動画&歌詞を紹介!の画像

2000年2月、「日本コロムビア創立90周年記念」アーティストとしてデビューした氷川きよしは、演歌歌手としては華々しい受賞歴を持つ実力派です。

年末恒例の音楽特番「日本有線大賞」、彼は過去最多となる9回目の有線大賞を受賞しています。

さらに、NHK紅白歌合戦にはデビュー以来連続出場を続け、日本レコード大賞にも連続ノミネート中と、大記録も更新中です。

低迷する歌謡界、特に落ち込みが激しいと言われる演歌界で、唯一ヒットを飛ばし、第一線で活躍し続けている歌手と言えますね。

氷川きよしデビュー秘話

デビュー当初から「日本コロムビア創立90周年記念」アーティストという肩書きの氷川きよし、実力もあってこそと言えるのですが、それだけではない売るための秘策がありました。

『神出鬼没!タケシムケン』とは

『神出鬼没!タケシムケン』(しんしゅつきぼつ タケシムケン)は、毎週日曜のゴールデンタイム枠に1999年4月18日から2000年3月19日まで放送された、テレビ朝日製作のバラエティ番組です。

ビートたけし志村けんが司会を務めたこの番組で、氷川きよしはそのデビューを大々的に応援されたという経緯があるため、お笑いの大御所二人が氷川きよしと名付けたと思われていますが、実際の名付け親はプロダクションの社長。

そうです。すでに氷川きよしという芸名は決まっていましたが、なにせずぶの素人に近いような新人であったため、当時すでに売れに売れていたビートたけしを名付け親にすれば話題作りとなり売れるのではないかと画策した結果だったようです。

新人歌手の氷川を売り込むため、社長も必死だったのですね。

『きよしのズンドコ節』について

『きよしのズンドコ節』は2002年2月6日にリリースされた3枚目のシングル曲。マキシシングルである『きよしのズンドコ節』と、『演歌名曲コレクション(2)~きよしのズンドコ節~』に収録されています。

この曲でも紅白歌合戦に出場しています。第53回紅白歌合戦、第2部の白組トップバッターでかつ先行トップバッターを務めたという曲でした。

ズンドコ節の歴史

「ズンドコ」とは実に耳障り良く軽快な響きだと思いませんか?「ズンドコ節」にはいろいろと歴史があります。

「ズンドコ節」とはその名の通り、節回しのひとつ。太鼓の音や笛の音を口で表現しているとも言われています。つまり日本の歌謡曲の楽曲のひとつで、「ヅンドコ節」と表記されることもあります。

ズンドコ節とは?

「ズンドコ節」とは、作詞者・作曲者ともに不詳の日本の愛唱歌です。軍歌と思われがちですが、正確には軍歌ではありません。

原曲は戦時中に各地で流行した「海軍小唄」という戦時歌謡。もちろん時世もあって、大っぴらに流行したと言うよりは、こっそりはやったという感じです。

その内容は、お国のために戦うという使命と家族・恋人への思いとの葛藤を、戦地に赴いた若者の視点で歌いあげるというもの。

国威高揚のプロパガンダというよりは、ぼやきのようなつぶやきのようなもので、むしろ「無事に戦地から帰ってきて欲しい」という思いをこめて作られた歌。そういう点から言えば確かに軍歌ではありませんね。

作詞・作曲者が共に不明ということで、著作権的には制約がないため、戦後、多数のカバー曲が発売され、全国的に広まりました。

ルーツは『海軍小唄』

著作権に制約がないとはいえ、この曲、いいようにカバーされ続けます。

ズンドコ節のルーツ『海軍小唄』(1945年頃流行)

ズンドコ節、いろいろ

ズンドコ節(街の伊達男)田端義夫