美空ひばりの生涯
天才少女歌手「美空ひばり」
1962年には日活の人気スター「小林旭」と結婚をしていました。
結局、入籍はしていないため、美空ひばりは生涯独身であったということですが、小林旭との結婚を知る人は少なくなったのではないでしょうか。
その後、数々のヒット曲を出しますが、1985年「ひばりの誕生日記念ゴルフコンペ」のプレー中に腰への痛みを訴え、その頃から原因不明の腰痛に悩まされていたといいます。
そして、それから2年、今度は体調不良で緊急入院することになります。
診断の結果は“重度の慢性肝炎”および“両側特発性大腿骨頭壊死症”というものでした。
マスコミには一切発表していませんでしたが、病状はかなり深刻であったそうです。
入院から3ヵ月過ぎた1987年8月3日、美空ひばりは無事退院し、自宅療養の生活を送ることになりました。
重大な病
1987年10月9日に行われたレコーディング、曲名は『みだれ髪』で芸能活動を復活させました。
不死鳥「美空ひばり」の復活です。
このレコーディングはオーケストラ伴奏、1回目で録音を終わらせました。
ただ、残念なことに1989年、美空ひばりは52歳という若さでこの世を去りました。
『みだれ髪』の舞台
福島県いわき市
1987年3月の初め頃、『みだれ髪』を作詞した星野哲郎は常磐線の特急「ひたち3号」の乗っていました。
それはコロムビア・レコードより頼まれた新作を作詞するため、福島県いわき市の塩屋岬に向かうためでした。
前年、病に倒れ重病であった美空ひばりの新曲に、作詞を「星野哲郎」に、作曲を「船村徹」にと考えた人がいました。
その人とは、コロムビアでディレクターを担当していた「森啓」でした。
その森啓から「福島県の塩屋岬あたりを見に行ってくれませんか?僕らが期待している歌詞など、いろいろと感じてもらえると思うのですが…」と聞いたから先でした。
依頼した森啓は「美空ひばりは燈台なんだ」と感じていたそうです。
午前中の塩屋岬は人影のない浜辺で、太平洋に燈台がひとつでした。
ところが夕暮れ時になると、小さく見える燈台が大きくなってきたと感じられ、それが美空ひばりの姿そのものに思えたそうです。
塩屋岬の燈台は美空ひばり
『みだれ髪』の歌詞にある“祈る女の性かなし”は消そうと船村徹は考えていました。
しかし、美空ひばりは「今の私は“祈る”という言葉を大事にしたい」と訴えたことから、歌詞はそのまま残されることになりました。
今もカラオケやものまね番組では美空ひばりの歌は常に歌われています。『みだれ髪』もカラオケで非常に人気のある曲です。
この世に美空ひばりの姿はありませんが、これからもファンの心を燈台のように照らし続けてくれることに間違いありません。
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