誰もが知っている名曲「サン・トワ・マミー」
シャンソンの女王・越路吹雪
越路吹雪は戦時中から日本の芸能史に登場するほどの大人物です。
彼女が遺したエピソードの数は枚挙に暇がありません。
それでも現在、彼女の本領発揮である舞台を拝むことは叶いません。
彼女が胃がんで亡くなったのは1980年のことです。
僅か56年の生涯でした。
遺された私たちはレコード、CD、現存する僅かな映像だけで彼女に接します。
それでもシャンソンの女王・越路吹雪の魅力は十分に伝わってくるのです。
私たちは越路吹雪に触れる度にいかに彼女の実力がずば抜けていたかを思い知らされます。
代表曲「サン・トワ・マミー」
「愛の讃歌」「サン・トワ・マミー」「ろくでなし」「ラストダンスは私に」
とりわけ国内でも数多くのカヴァー曲を生んだ「サン・トワ・マミー」は誰しも耳にしたことがあるでしょう。
「サン・トワ・マミー」で歌われる悲恋を歌詞から紐解いていきましょう。
まず越路吹雪さんについて知ろう
越路吹雪という名前からもわかる通り宝塚歌劇団の出身です。
宝塚歌劇団第27期の男役トップスターとして1937年から1951年まで在籍していました。
有名な同期生としては月丘夢路さんや音羽信子さんがおられます。
「清く正しく美しく」をモットーとする宝塚歌劇団の中では異色の存在で、喫煙や門限破りもしていたようです。
歌とお芝居が大好きで、何より自由を愛した人なのでしょうね。
当時としては珍しくパリでシャンソンの女王エディット・ピアフの生ステージを体験しています。
この経験はその後の彼女の人生に大きな影響を与えたようです。
著名な作家である三島由紀夫さんとの交際も話題となりました。さすがに華やかな経歴ですね。
1959年に結婚した内藤法美さんを死ぬまで大切にし、最後の言葉も彼を気遣ったものだったそうです。
歌うことを何よりも愛し、同じ曲でも歌うたびにきちんとリハーサルをして真摯な姿勢を貫いた越路吹雪。
まさにスターです。
「サン・トワ・マミー」の意味とは?
元々はベルギーでの大ヒット曲
「サン・トワ・マミー」の原曲はベルギー人のサルヴァドール・アダモによる「Sans toi ma mie」。
このベルギーの大ヒット曲を日本語訳したのが岩谷時子です。
1964年に越路吹雪の歌唱によりシングル・カットしました。
以後、越路吹雪はステージで必ずこの曲を歌うようになり彼女の代表曲として広く愛されます。
越路吹雪のパートナー岩谷時子とは
越路吹雪と寄り添い、彼女を支え続けた岩谷時子さんは作詞家であり詩人、翻訳家です。
2人の絆は余人に代え難いほど強く、岩谷さんは本職を聞かれたら「越路吹雪のマネージャー」と言うほどでした。
越路吹雪の代表作である「サン・トワ・マミー」や「愛の賛歌」も岩谷さんの作品です。
他にもザ・ピーナツの「恋のバカンス」や加山雄三の「君といつまでも」などを生み出しています。
越路との出会いは宝塚時代で岩谷時子さんの方が8歳年上でした。
岩谷時子さんが宝塚歌劇団出版部に在籍していたことで知り合い、生涯を共にすることになります。
岩谷時子さんあっての越路吹雪と言えますが、越路がいなければ岩谷さんも陽の目を見ていないかもしれません。
まさに運命の出会いですね。
日本語訳で男女逆転
それでは越路吹雪の「サン・トワ・マミー」の歌詞を紐解いていきましょう。
ただし、その前にどうしてもおさえておかなければならない知識があります。
本来この曲は男性が女性にフラレて悲恋を嘆くという歌でした。
「Sans toi ma mie」とは「Sans (without)」「toi (you)」「m’amie (my girl friend)」となります。
日本語に訳すと”私の女友だち、あなたなしでは“という意味です。
ところが越路吹雪のヴァージョンでは女性が男性にフラれたシチュエーションに置き換わっています。
この辺りで原曲と齟齬が生じている点を事前に踏まえていただきたいです。
「サン・トワ・マミー」とは恋の呪文
それでも「サン・トワ・マミー」という言葉はどこか呪文のようなものに聴こえてきます。
ですから日本語ヴァージョンでも違和感は覚えないです。
実際に越路吹雪の「サン・トワ・マミー」の歌詞を読んでいきましょう。