もう怨むまい、もう怨むのはよそう
今宵の酒に酔いしれて
出典: 祭りのあと/作詞:岡本おさみ 作曲:吉田拓郎
歌のラストは4番のサビのリフレインです。
学生運動などでの内ゲバや壮絶なリンチ殺人との訣別を歌っています。
革命の希望とは平和な未来の建設ではなかったのか?
本末転倒した武装闘争の愚。
新左翼運動は連合赤軍事件によって大衆運動としての求心力を決定的になくしていきます。
岡本おさみの嘆きもそうした風潮の中で生まれたものです。
吉田拓郎も“祭り”には複雑な想いを抱えつつも、この曲を歌い続けています。
その他のフォーク・シンガーたちの反応
友部正人にとっての連合赤軍事件
一方で吉田拓郎や岡本おさみの考えだけがフォーク・シンガーたちを代表するものではありません。
友部正人は「乾杯」という曲の中で連合赤軍・あさま山荘事件について歌っています。
日本のフォークの名盤「にんじん」収録曲。
トーキング・ブルースのように言葉をいくつもいくつも繰り出す歌唱が鮮烈です。
ニュースが長かった2月28日をしめくくろうとしている
死んだ警官が気の毒です
犯人は人間じゃありませんって
でもぼく思うんだやつら
ニュース解説者のように情にもろく
やたら情にもろくなくてよかったって
どうして言えるんだい
やつらが狂暴だって
出典: 乾杯/作詞:友部正人 作曲:友部正人
「祭りのあと」の岡本おさみの歌詞とは正反対の主張でしょう。
いまだにラディカルであり続けるのもひとつのスタイルです。
友部正人のファンの間ではいまでも人気がある曲。
普段はやさしい印象の友部正人ですが、尖った切っ先鋭い歌です。
同じ出来事にも色々な見方があることを想い知らされます。
ただし、「祭りのあと」が収録されたアルバム「元気です。」は40万枚の大ヒット。
一方、友部正人はまだURCというインディーズ・レーベルからしかレコードを出せなかった時期です。
大衆的な支持がどちらにあったかは明白かもしれません。
運動の歴史は暴力一色ではなかったこと
勝利した”祭り”もあった
学生運動は「祭りのあと」に下火になりましたが、地道に続いています。
若い方に誤解していただきたくないのは、どの党派も暴力的であったわけではないということ。
穏健で民主的な学生運動もありますし、かつてもありました。
学生運動の歴史は暴力の一色で塗りつぶされるものではないのです。
政府や為政者のなすがままにされる社会もまた不健全なのですから対抗はときに必要なはず。
大切なのは目的に沿った手段です。
また“祭り”の効用は否定できません。
世界的な反戦運動の高まりがなければアメリカはベトナムから手を引かなかったかもしれません。
連合赤軍事件のあとも粘り強い大衆的な反戦運動が続き、1975年のサイゴン陥落に至ります。
この闘いと“祭り”は大衆運動の側の勝利です。
まとめ:「祭りのあと」のあたらしい時代
フォーク・ソングの真骨頂
吉田拓郎の「祭りのあと」は学生運動などの「敗北の季節」に生まれました。
仲間同士で恨みあい、憎みあう時代の終息。
ハーモニカとアコースティック・ギターさえあれば誰にでも口ずさめる歌ですから愛唱されました。
あたらしい時代を告げるフォーク・ソングの真骨頂です。
吉田拓郎の良質な個人主義
かつてフォークの神様・岡林信康が「私たちの望むものは」で口ずさんだ「私たち」。
吉田拓郎は「今日までそして明日から」で「わたし」という一人称で歌い始めます。
フォーク・ソングにあらたな風を注ぎ込んだのです。
「祭りのあと」も岡本おさみの作詞によりますが吉田拓郎の良質な個人主義が読み取れます。
時代とともに集団から個人へと比重が変わってくる。
いまから先の時代にも大切に受け継いで遺していきたい重大な変化です。
ぜひその辺りの響きも忘れずに聴き遂げてください。
「祭りのあと」を穏やかに暮らすこと。
そのことを咎めるひとはいないはずです。
そう信じたい。
ここまで読んでいただきありがとうございました。