それでは「遠く遠く」の歌詞を見ていきましょう。
離れていても伝えるために
遠く遠く離れていても
僕のことがわかるように
力いっぱい 輝ける日を
この街で迎えたい
出典: https://twitter.com/buchiko815/status/904541749267243008
まずは導入部分。
印象的なサビのフレーズからスタートしていきます。
タイトルにもなっている「遠く遠く」という言葉から始まることで、一気に曲の世界に引き込まれます。
前述したように遠く離れた友人に贈る歌だけあって、メッセージの強くこもった歌詞になっています。
遠い街に住んでいれば、相手がどこでいま何をしているのか、そう簡単にはわかりません。
いまでこそ簡単にメッセージをやり取りするツールが登場して、遠く離れた相手ともすぐにやりとりができます。
またSNSを通じて、相手の近況を知ることも比較的容易でしょう。
しかしこの楽曲が発売された90年代初期にはここまで身近ではなかったはず。
元気にしているのかな?何しているのかな?
そんな風に気にかけることしかできなかったのかもしれません。
となればこの曲を書いた槇原さんにとって、相手に近況を知らせる方法はただ1つ。
歌手として売れて、有名になること。
メディアが取り上げてくれるようになれば、遠く離れていても知らせることができます。
槇原さんはそれを望み、目指して、こんな歌詞を綴ったのでしょう。
子どもの頃に想いを馳せて
外苑の桜は咲き乱れ
この頃になるといつでも
新幹線のホームに舞った
見えない花吹雪思い出す
まるで七五三の時のように
ぎこちないスーツ姿も
今ではわりと似合うんだ
ネクタイも上手く選べる
出典: http://j-lyric.net/artist/a0005ff/l000459.html
そして、今住んでいる街の景色を提示します。
季節は春で、この街で迎える何度目かの春であることが分かります。
同じ季節を繰り返す度に、遠く離れた街に出てきたことを思い出し、地元を離れた頃よりは成長している自分を確認しています。
新幹線と桜吹雪の思い出は、上京する頃のものでしょうか。
まさに出会いと別れの季節。
舞い散る桜が背中を押してくれるようで、どこか寂しさも感じさせます。
槇原さんが上京したのは、大学に入学する時。
高校を卒業して数年後のスーツ姿は、誰でもしっくりこないものでしょう。
しかし歌詞を見ると、いまではネクタイを選ぶセンスも磨かれた様子。
故郷を離れてから何年もの時が過ぎていることを感じさせます。
仲間たちへの想い
同窓会の案内状
欠席に丸をつけた
「元気かどうかしんぱいです。」と
手紙をくれるみんなに
遠く遠く離れていても
僕のことがわかるように
力いっぱい 輝ける日を
この街で迎えたい
出典: https://twitter.com/miyabi__sy/status/921384214813073408
忙しない毎日の中で、なかなか地元に帰ることもできず、友達からは心配されています。
それでも心配して手紙をくれる友達がいることは、とてもかけがえのないことであり、愛された環境で過ごしてきたことが窺えます。
そんな大切な友達に良い知らせができるように、今住んでいる街で目一杯頑張らないとと自分を鼓舞しています。
同窓会のために地元へ帰れないほど忙しいのは寂しい反面、嬉しいことでもあるでしょう。
なぜならそれだけ歌手として売れて、仕事が舞い込んできている状態ということだから。
後半の歌詞は冒頭のフレーズと同じですが、ここは特定の友人だけに向けた言葉ではなさそうですね。
同窓会に参加できない自分を心配してくれる、かつての仲間たち全員に向けた想いが感じられます。
友という存在の大きさ
いつでも帰ってくればいいと
真夜中の公衆電話で
言われたとき笑顔になって
今までやってこれたよ
出典: https://twitter.com/tsumugubot/status/922043198314180609
また友達は手紙だけでなく、電話もくれているようです。
「いつでも帰ってくればいい」という言葉は、気遣ってくれているようで「そっちでしっかり頑張れよ」という気持ちを伝えているように感じます。
それをしっかりと感じ取ったことで、ここまで頑張ってこれたと感謝の気持ちを「ありがとう」と言わずに伝えているのではないでしょうか。
夜中に公衆電話から連絡をするとは、よほど緊急だったのでしょう。
それほど辛くて追い込まれている時、躊躇なく連絡できる友との関係の深さも窺えますね。
そしてそんな友の言葉には優しさも厳しさも含まれている…。
槇原さんにとって大切な友人の人柄がわかる、素敵なフレーズです。