「ルンパパパン、ルンパパパン

ルンパパパン、男は倒れる

ルンパパパン、ルンパパパン

ルンパパパン、男はうずくまった」

ご覧のように深刻さの欠片も失くなりました

音楽のスタイルがレゲエなのですから仕方のないことかもしれません。

また過度に罪と罰について考えて欲しくはないという制作チームの心境が透けます。

それでも私の脳内で殺人の瞬間の記憶がフラッシュバックしていることを表現しているのです。

擬音の軽さには驚かされますが、実際の銃声というものは乾いて軽い音なのかもしれません。

銃社会であるアメリカ合衆国でないと分かりかねる表現かもしれないです。

度重なる銃撃事件やテロ行為によってアメリカ合衆国もようやく銃規制強化の議論が巻き起こります。

リアーナの「マン・ダウン」が護身で殺してしまったようなケースを描いているのだとしたらどうでしょう。

そこに銃があったから撃ってしまったという私の深い後悔をよく見つめたいです。

銃社会でなければこの悲劇は起きなかった事例でしょう。

一方でそもそも「マン・ダウン」というタイトルが挑発的です。

英文を読んでいただくと分かるのですが、このラインでタイトルを回収しています。

女性を危険な状態に落とし込む男性が呆気なく死んでゆく様子。

そこに軽さを持たせることで死んだ男性に同情する気を持たせない配慮があるのでしょう。

私は自首しない

ママへの懺悔を聴く

リアーナ【マン・ダウン】歌詞和訳&解説!酷い男に対して主人公が起こした行動とは?女性は共感できる?の画像

Oh, mama, mama, mama, I just shot a man down
In central station
In front of a big ol' crowd

出典: マン・ダウン/作詞:Shama Joseph,Robyn Fenty,Theron Thomas,Timothy Thomas,Shontelle Layne 作曲:Shama Joseph,Robyn Fenty,Theron Thomas,Timothy Thomas,Shontelle Layne

「オー、ママ、ママ、ママ

私は男を撃ち抜いてしまったわ

セントラル・ステーションでね

膨大な人だかりを前にして」

この事件は私の寝室などの密室で起きた訳ではないのです。

セントラル・ステーション、東京都内でいうとまさに東京駅のような場所で起きました。

公衆の面前で行われた銃による殺人事件です。

これは急いで逃げないと取り押さえられていたことでしょう。

いま警察が追っている気配がないということは先ほどまでの歌詞から感じられたはずです。

さらに事件を目撃したであろう人たちに取り押さえられなかったことが分かります。

実際に殺人現場に居合わせて危険を顧みずに銃を持った犯人を取り押さえる勇気は誰にもないかも。

その一方でやはり殺人者が抱く観念として私はこの場に留まっていたら逮捕されるから逃げようとします。

それと同時に生んでくれたお母さんへ懺悔するのです。

一番にしなくてはいけないのは被害者の救済でしょう。

しかし私の脳内には被害者への同情はあるとしても非常に軽いものです。

本当に私が罪と罰について向かい合っていたならばこの物語は早々に終わるかもしれません。

しかしドストエフスキーの「罪と罰」にしてもラスコーリニコフは後悔しても自首はしないのです。

この類似性はおそらく偶然ではないはずです。

制作チームは明らかにドストエフスキーの「罪と罰」のエピソードを踏襲しています。

つまり殺人者を男性から女性へ変えてみるような冒険をしてみたのでしょう。

加害者と被害者の境遇や立場が変わると「罪と罰」はどう変わるかについて考えたかったのです。

「マン・ダウン」はリアーナ版の「罪と罰」なのでしょう。

それがレゲエのリズムに乗っているハウス・ミュージックなのが彼女らしいでしょう。

動機は何かという問い

リアーナ【マン・ダウン】歌詞和訳&解説!酷い男に対して主人公が起こした行動とは?女性は共感できる?の画像

Oh, why?
Oh, why?
Oh, mama, mama, mama, I just shot a man down
In central station

出典: マン・ダウン/作詞:Shama Joseph,Robyn Fenty,Theron Thomas,Timothy Thomas,Shontelle Layne 作曲:Shama Joseph,Robyn Fenty,Theron Thomas,Timothy Thomas,Shontelle Layne

「オー、なぜなの、オー、なぜなの

オー、ママ、ママ、ママ

私は男を撃ち抜いてしまったわ

セントラル・ステーションで」

殺人者の私も動機を理解できていません

動機なき殺人とは思えない要素もあるのですが、本人に自覚がないのですからリスナーは困惑します。

私たちはその動機について様々に想像を膨らませるでしょう。

しかし肝心の語り手の私がなぜだったのだろうと頭を悩ませているのですから答えにたどり着けません。

動機については答えがないということなのでしょうか。

制作チームは答えを明示しないことについて確信犯的です。

ある日、あなたが殺人者になってしまったらどうするか。

そうした思考実験のようなものを用意したのです。

私たちの中には眠れる殺意が存在します。

たまたま手に銃があったとき、それを相手に向けてしまう可能性は本当にゼロなのかと問うようです。

多くの人々がこうした設定自体をバカバカしいものだと思うことでしょう。

しかし本当に心に癒えない傷を背負っている人もこの社会にはいます。

そして殺人事件は毎日、現実において起こっているのです。

殺人という究極の暴力への誘いを殺人者の耳元でささやく存在がいる証拠でしょう。

その存在とはおそらく人の心そのものに潜んでいる何ものかなのです。

銃への依存

アメリカ合衆国の現実とは

リアーナ【マン・ダウン】歌詞和訳&解説!酷い男に対して主人公が起こした行動とは?女性は共感できる?の画像

It's a twenty-two, I call her Peggy Sue
When she fits right down in my shoes
Whatchu expect me to do if you're playing me for a fool?
I will lose my cool and reach for my firearm

出典: マン・ダウン/作詞:Shama Joseph,Robyn Fenty,Theron Thomas,Timothy Thomas,Shontelle Layne 作曲:Shama Joseph,Robyn Fenty,Theron Thomas,Timothy Thomas,Shontelle Layne

「22口径の銃なの 私は彼女のことをペギー・スーと呼んでいるわ

彼女は私の靴の中にジャストフィットしているの

あなたは私に何をして欲しいと期待するだろう

あなたが私のことを馬鹿にしてふざけるのなら

私は冷静さを失うわ

そして私の炎の銃に手をのばすでしょうね」

銃への愛着を歌っています。

人を殺すための道具に対するフェティシズムのようなものを抱えているようです。

相手が殺してしまった彼でなくてもバカにされたと感じたら銃に手をかけると歌うのです。

つまり彼が私になした酷いこととはバカにしたことだけなのでしょう。

この行動だけに苛ついて私は彼を衝動的に撃ち殺してしまったのです。

銃がある社会というものが人々を蝕む悪夢のようなメンタリティが垣間見えます。

その意志さえあれば人を殺傷できる能力のある道具が蔓延しているアメリカ合衆国の闇でしょう。

ただし、リアーナが銃規制強化に賛成しているのかどうかは分かりません。

というのも公式MV正当な理由がある場合は銃に頼ることを肯定してしまったのです。

レイプ被害という理由があれば加害者男性を撃ち殺す。

もちろんそれもMVというフィクションの中の出来事でしょう。

しかしリアーナ自身の思考を読み解くのは慎重にならざるをえません。

日本社会では反社会的勢力を別にすると銃を手にしたことがある人は珍しいです。

こうした社会からアメリカ合衆国の銃撃事件を見るとどう考えても銃規制強化を望みたくなります

しかしアメリカ合衆国の世論は二分されているのです。

大統領が全米ライフル協会から支援を受けている国がアメリカ合衆国の現実でしょう。

過去の罪はついてくる

リアーナ【マン・ダウン】歌詞和訳&解説!酷い男に対して主人公が起こした行動とは?女性は共感できる?の画像

I didn't mean to lay him down
But it's too late to turn back now
Don't know what I was thinking
Now he's no longer living
So I'm 'bout to leave town, aye-uh

出典: マン・ダウン/作詞:Shama Joseph,Robyn Fenty,Theron Thomas,Timothy Thomas,Shontelle Layne 作曲:Shama Joseph,Robyn Fenty,Theron Thomas,Timothy Thomas,Shontelle Layne

「私は彼を殺すつもりはなかったの

でもいまや引き返すには遅すぎる

自分が何を考えていたのか理解できないの

いまや彼はもう息もしない

だから私はこの街を離れるつもりよ」

殺人者である私がいかに皮相な考えしか持ち合わせていないかを浮き彫りにします。

人の生命を奪ったことについて過去には引き返せないからという浅薄な意識しか告白しません。

本当に自分が犯してしまった罪がどれほど重いものかについて考えがまとまらないのです。

殺された彼は息を吹き返しません。

私は街から逃げ出すことで頭がいっぱいです。

群衆の目の前で殺人事件を犯したのですからもう逃げる場所はこの街にはないのでしょう。

別の街へ移り住んでも過去に犯した罪から逃げられないという当たり前の認識が私には欠けています。

動機はバカにされたりからかわれたりしたことくらいしか思い当たらない描写になっているのです。

この殺人を肯定できる人はいません。

しかし心に傷を負ったことを復讐心に変える人は確かにいるのです。

日々のニュースがそうした人々の存在を思い知らせてくれます。

治安がいい国といわれる日本社会でも怨恨による殺人事件が日々報道されるのです。

銃が流通していないこの社会でもこうした事件があるということ。

銃爪を弾けば相手を消せる道具が国中にあふれている社会ではさらに悪魔の誘惑があるのでしょう。

壊れてしまった私