『自虐家のアリー』とは

【自虐家のアリー/amazarashi】物語の世界観に心が震える...歌詞の意味を徹底解釈!PVありの画像

まず、amazarashi楽曲である『自虐家のアリー』の収録作品など、概要について紹介します。

シングル『季節は次々死んでいく』収録

『自虐家のアリー』は、2015年2月に発売された初のシングル『季節は次々死んでいく』に収録されています。

amazarashiシングルはタイトル曲だけでなく、カップリングも合わせて1つの世界観が構築されていることが魅力です。

『自虐家のアリー』も、カップリングですが『季節は次々死んでいく』に負けない名曲となっています。

愛について考えさせられる圧倒的な世界観

この曲はあまりにも少女の悲しい愛が描かれています。

1つのことが崩れてしまったために、そこから愛が歪んでいってしまう様子は胸が締め付けられます。

誰もが「愛」を求めているはずなのに、誰も「愛」を手にすることができないのです。

このような圧倒的な歌詞の世界観を構築できることがamazarashiの大きな魅力といえるでしょう。

そして、『自虐家のアリー』は悲しくて暗い曲でありながらも美しさが感じられるサウンドとメロディーのバランスが絶妙です。

歌詞の意味を解説

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次に、『自虐家のアリー』の気になる歌詞の意味を解説していきたいと思います。

母親の「愛」と呼ぶ仕打ち

いずれにしても立ち去らなければならない 彼女は傷つきすぎた
開かないカーテン 割れたカップ 流し台の腐乱したキャベツ
愛と呼べば全てを許した 母の仕打ちも割れた爪も
酷く痩せた膝を抱いて 責めるのはいつも自分の事ばかり

出典: 自虐家のアリー/作詞:秋田ひろむ 作曲:秋田ひろむ

「彼女は傷つきすぎた」ので、ここから立ち去らないといけないのはなぜかということが説明されています。

カーテンは開くことがなく、食器が割れているひどい状況です。これは生活自体を放棄しているという様子があらわされています。

「酷く痩せた膝」「割れた爪」などから、母親から虐待を受けていることがわかるでしょう。

それでも母親はその仕打ちを「愛」と呼び、彼女もそれを許してしまっています。悪いのは自分だと責めているのです。

お前なんかどこか消えちまえと 言われた時初めて気付いた
行きたい場所なんて何処にもない ここに居させてと泣き喚いた
「窓から小さく海が見えるから 父さんとこの部屋に決めたの」と
昔嬉しそうに話していた 母は今夜もまだ帰らない

出典: 自虐家のアリー/作詞:秋田ひろむ 作曲:秋田ひろむ

あの海と一つになれたらって
そう思った後に少し笑った

出典: 自虐家のアリー/作詞:秋田ひろむ 作曲:秋田ひろむ

彼女は、母親には自分がついていないと誰もいなくなってしまうという気持ちがあったのかもしれません。

しかし、「どこか消えちまえ」と言われた時に、自分が行きたいと思っている場所などどこにもないことに気が付きます。

虐待をしたり、生活を放棄してしまう前には母親にもやさしい時があったのでしょう。

思い出の中にはうれしそうに話す母親がいるのです。しかし、現実の母親はいません。

彼女を放っておいて、どこかに出かけたままです。

母親の本当の姿を信じている

私だけが知っているんだから わがままはとうの昔に止めた
時々とても優しく笑う それが母の本当の姿
物心ついた時から父は居ない 理由は今も聞けない
今夜も海を眺めながら 記憶の中だけ裸足の少女

出典: 自虐家のアリー/作詞:秋田ひろむ 作曲:秋田ひろむ

あの海と一つになれたらって
そう願ったのは何故だろう

出典: 自虐家のアリー/作詞:秋田ひろむ 作曲:秋田ひろむ