彼女は昔の母親が本当の姿だと信じています。昔のように時々やさしい笑顔を見せることもあるのです。

父親はなぜいなくなってしまったのでしょうか。「理由は今も聞けない」というところから、聞いてはいけないような事情があることがわかります。

他の女性といなくなってしまったことや、母親と娘を捨てて消えてしまったことも考えられます。

母親は父親のことを本当に愛していたのだと思います。だからこそ、その愛情が今は「憎しみ」に変わっているのです。

彼女を見ると父親のことを嫌でも思い出してしまうのでしょう。

母親にも彼女にひどいことをしてはいけないという気持ちはあると思います。それが抑えられないことによる葛藤が、さらに自暴自棄にさせるのでしょう。

自虐家のアリー 波の隨に 歌って
被虐者の愛 波の隨に 願った
抱きしめられたくて 嘘ついたあの日を
今でもずっと悔やんでいる

出典: 自虐家のアリー/作詞:秋田ひろむ 作曲:秋田ひろむ

「波の隨に」とは、波に成り行きを任せている様子です。自虐とは自分を虐げる人のことですね。

被虐者とはもちろん彼女のことで、加虐者は母親です。父親が愛した海を見ながら、彼女は母親から愛されることを願ったのでしょう。

「嘘ついた」とありますが、このとはなんでしょう。これはさまざまな仕打ちを「愛」と呼べば許したことだと思います。

それが愛ではないということに彼女は気づいていたのです。そうでなければ、愛されることを願ったりしないでしょう。

その嘘をついたことにより、母親の虐待を許してしまったことを後悔しているのだと思います。

海になって愛されることを願った

苦しくてしょうがなくて 海への道駆け抜けた
砂浜で 月明かりの裸足の少女
愛されていないって 疑った私を許して
何もいらないよ これが最後のわがまま

出典: 自虐家のアリー/作詞:秋田ひろむ 作曲:秋田ひろむ

自虐家のアリー 波の隨に 浮かんで
被虐者の愛 波の隨に 沈んだ
あの人が愛した 父さんが愛した
この海になれたら 抱きしめてくれるかな
今でもずっと愛してる

出典: 自虐家のアリー/作詞:秋田ひろむ 作曲:秋田ひろむ

「砂浜で」という歌詞から、彼女が家から飛び出して夜の海に向かったことがわかります。

「疑った私」とは、母親の仕打ちが愛ではないと指摘したのかもしれません。

母親の虐待が苦しくて、彼女はそれから逃れたいと思ったのです。「何もいらないよ」とは自分の命すらもいらないという意味です。

波に「浮かんで」いるのは彼女の体です。そして彼女は母親への愛とともに海に沈んでいきます。

「あの人」と呼ぶ母親と父親が愛した海になることで、本当に愛されることを願ったのです。

PVはこちら


『自虐家のアリー』のPVについて紹介します。

このPVはリリックビデオとなっていて、歌詞を見ながらこの曲を楽しむことが可能です。

歌詞が表示されるスピーカー「Lyric Speaker」がこのPVには使われています。

amazarashiの曲をこのスピーカーを使って聴くと、面白いかもしれませんね。

まとめ

【自虐家のアリー/amazarashi】物語の世界観に心が震える...歌詞の意味を徹底解釈!PVありの画像

amazarashi悲しくて美しい名曲『自虐家のアリー』について紹介しましたがいかがでしたでしょうか。

少女の愛や母親の歪んだ愛が交錯する物語のような歌詞です。

ハッピーエンドではありませんが、この曲を聴いた後には精一杯生きようという気持ちにさせられます。

それは「愛」や「死」の深い部分に『自虐家のアリー』が触れているからではないでしょうか。

amazarashiは2017年12月13日に新しいアルバム『地方都市のメメント・モリ』をリリースしました。

この記事を読んでamazarashiに興味を持った方は、彼らの最新の楽曲も聴いてみてはいかがでしょうか。

amazarashi New Album 「地方都市のメメント・モリ」 2017.12.13 Release

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