裸足のままでゆく 何も見えなくなる
振り返ることなく 天国のドア叩く
出典: ロックンロール/作詞:岸田繁 作曲:岸田繁
西部劇映画『ビリー・ザ・キッド/21才の生涯』(1973年、MGM、監督: サム・ペキンパー)への楽曲提供であることから、歌詞は米国西部開拓時代のガンマンが「視界がだんだん暗くなり、今まさに天国への扉をノックしている。バッジや銃はもう使えない」と、死に行く際の心境を歌っている。
出典: https://ja.wikipedia.org/wiki/天国への扉_(ボブ・ディランの曲)
Wikipediaでは映画「ビリー・ザ・キッド」のストーリーに沿った解釈をしています。
実際にはボブ・ディランの曲らしく様々な解釈がなされているのです。
その中でも有力なのがベトナム戦争の帰還兵の心境を歌ったものという解釈でしょう。
帰還兵は自殺という手段で戦争トラウマから逃げ出そうとしていました。
深刻な社会問題について歌ったものだと考える方がボブ・ディランらしいでしょう。
いずれにしても天国の扉をノックするというのは自殺に関する叙述です。
岸田繁がこの文脈を知らずに書いたはずがありません。
人生にケリを付けるべく自殺という手段を選んで天国の扉をノックするというのは怖ろしいです。
自殺という手段にこだわらなくても誰かが一直線に死に向かってしまったという解釈はできます。
いずれにしても死に対して迷いがなく、人生を顧みずに天国の扉をノックすること。
一体主語は誰なのでしょうか。
岸田繁はここで巧妙に主語を隠蔽するのです。
笑顔を見せていた君でしょうか。
自分のペースで生きることを考えている僕の内面の暴走かもしれません。
あるいは僕と君にとって大事な誰かでしょうか。
率直に語るといずれの解釈も可能になっているのです。
しかし僕と君がともに事件を体験したという前提から考えると大切な人を自殺で失ったのでしょう。
2009年12月、フジファブリックの志村正彦が亡くなった翌日のエピソードがそのことを裏付けました。
岸田繁は「ロックンロール」を亡くなった友だちのためにといいながら弾き語りしたのです。
もちろん「ロックンロール」は志村正彦の死の5年前に発表されています。
時系列としては「ロックンロール」の方が先で、志村正彦という友人の死は後です。
ただ、このエピソードを知るとこの曲が親しい人の死の直後に編まれたと思わざるを得ません。
やはり僕と君は大切な人を永遠に喪ってしまうという経験をしているのです。
岸田繁は死因については何も書いてはいませんし、それどころか誰かが亡くなったとも書きません。
それでもこの曲の僕に感じられるナイーブな感性は親しい人の死がもたらしたものと考えた方が自然です。
私たちは身近な人を喪ってしまうと抑うつ状態に陥ります。
突然に訪れる抑うつの日々の中で私たちは何とか日常に戻ろうとするものです。
歌い出しで自分のリズムを確かめようとした僕の仕種は抑うつの日々からの回復のためにあるのでしょう。
「ロックンロール」というシンプルなタイトルの意味も定かではありません。
しかし生活にビートを取り戻して事件からの衝撃から抜け出ようという思いが滲んだのかもしれません。
そうなると岸田繁は極めてパーソナルな出来事を普遍的な音楽へ昇華させたことが分かります。
想像力と創造力によって亡き友だちを弔ったのです。
大切なものはシンプル
亡き人たちの分まで生きること
たった一かけらの勇気があれば
ほんとうのやさしさがあれば
あなたを思う本当の心があれば
僕はすべてを失えるんだ
出典: ロックンロール/作詞:岸田繁 作曲:岸田繁
先ほどのラインを過ぎた後だとこの言葉たちが愛しくて仕方がなくなります。
「ロックンロール」という楽曲がくるりにとって屈指の名曲だと評価されているのには訳があるのです。
私たちは人生のどこかで大切な人を天国へ送ってしまいます。
死というものはテレビやネットのニュース番組で日々触れているでしょう。
しかしそうしたメディアを介した訃報と親しい人の死の報せは等価ではないようです。
生命の重さという点では同様なのでしょうが、この胸の痛み方が明らかに違います。
しばらく喪に服して悲しい日々を過ごすでしょう。
しかしいつまでも悲しんではいられないと気付くとき、私たちは亡き人の分まで未来を生きようとします。
極めて身勝手な解決の仕方で私たちは心というものを整理しないといけません。
いつまでも抑うつ状態に浸っていると次は私たちが死に飲み込まれることだってあるからです。
ここでの僕も回復のためにどうすべきかを考えています。
そして自分にとって大切なものは何かを見極めようとするのです。
見えてきたものは何であり誰でしょうか。
不要なものは簡単に手放せる
僕は君もしくはあなたのことを大切にし続けることを誓います。
そして人生における本当に大切なエレメントを選び直すのです。
勇気や優しさと君への愛がこれに当たります。
極めてシンプルなものばかりですが、ただこのためだけに生きることはとても難しいことです。
この「ロックンロール」が発表された当時、断捨離という言葉はいまほどメジャーではありませんでした。
しかし僕は人生の中で余分な脂肪を削ぎ落とすように、不要なものは捨てたっていいと思います。
大切な人を喪うと物質的な価値というものが虚しく感じられるものでしょう。
どれほど金銭を持っていても、どれほどアクセリーを身に着けようとも喪われた生命は戻ってこないです。
ならば心というものにもっと重点的に価値を見出して、この先の人生を大切なものにしようと思います。
それこそ喪った人の分も充実した人生を送ってゆくために大切なことなのです。
そうしたシンプルに心を支える価値以外のものは無駄なので簡単に手放せると岸田繁は歌います。
最後に これからも話すよ
思い悩みながら死を受容する
晴れわたる空の色 忘れない日々のこと
溶けてく景色はいつもこんなに迷ってるのに
8の字描くように無限のビート グライダー飛ぶよ
さよなら また明日 言わなきゃいけないな
出典: ロックンロール/作詞:岸田繁 作曲:岸田繁
いよいよクライマックスの歌詞になります。
描かれる情景の美しさが胸を締め付けるようです。
天気のいい日の真っ青な空のもとで考えることは何でしょうか。
喪った人と共有していた思い出があるのですが、記憶をシェアする相手がいなくなりました。
いまはもう自分だけがその記憶や光景をきちんと覚えていないとその人が生きていた痕跡は失くなります。
どうしても思い出してしまう彼や彼女の記憶というもの。
その光景は朧であって徐々に曖昧なものにすらなります。
しかしこのクリアな青空の屈託のなさは何なのだろうと僕は思うのです。
自分の心の中もこれほどにクリアにできたら、近しい人の死というものから抜け出せた証拠でしょう。
しかしそこまでクリアにはしたくないという僕の逡巡がうかがえるのです。
戸惑いの中でこそ彼・彼女の死を受け入れられるはずだという思いが透けます。
天気がいいことに超したことはないですが、もっと考え続けて思い悩みたいと願うのです。