スキマスイッチについて

【アカツキの詩/スキマスイッチ】アニメーションPVに涙腺崩壊?!歌詞の意味を徹底解釈!コード譜あり♪の画像

スキマスイッチは「ガラナ」や「全力少年」「ボクノート」「奏」など、多くの有名な楽曲がありますから、知っている人は多いでしょう。

しかし、よりスキマスイッチについて知ってもらうためにも、さくっとご紹介します。

スキマスイッチは2003年7月に「view」でメジャーデビューを飾っています。

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2005年には「全力少年」で紅白歌合戦に初出場し、2006年には「ボクノート」が第48回日本レコード大賞で金賞に輝きます。

2007年12月31日からは、スキマスイッチと並行してそれぞれがソロ活動も始めました。

約1年後の2008年12月11日から、スキマスイッチとしての活動を再開していますから、意外と早かったですね。

筆者はあまり詳しくないので、ソロ活動の期間が長いのかと心配していましたが、余計な心配だったようです。

では、メンバーについてご紹介しましょう。

大橋卓弥(おおはし たくや)
ボーカル、ギター、ハーモニカ担当

常田真太郎(ときた しんたろう)
ピアノ、コーラス、オルガン、トータルサウンドトリートメント担当

出典: https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%9E%E3%82%B9%E3%82%A4%E3%83%83%E3%83%81#%E3%83%A1%E3%83%B3%E3%83%90%E3%83%BC

大橋卓弥

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まずはメンバー紹介です。大橋卓弥さんはスキマスイッチのボーカルをしていますが、他にもギターやハーモニカを演奏することもありますよ。

「全力少年」では楽しそうにギターをかき鳴らす姿が印象的でした。

大橋さんは幼い頃からクラシック音楽が好きだったこともあり、子供の頃はピアニストになることが夢だったとか。

中学生の時に生徒会の書記として漫才をしたことがあり、それがきっかけで目覚めたようですが、どうして漫才をすることになったのでしょうね(笑)

ピアノはまだ続けていたようですが、指導してくれた人の薦めで見たリサイタルでプロの演奏と自分の落差を知り、意気消沈し、ピアノを辞めてしまったそうです。

運命的な出会い

スキマスイッチの相方である常田真太郎さんと出会ったのは高校3年生の時。中学時代の先輩の紹介で出会ったそうです。

しかし、今でこそスキマスイッチのピアノ奏者として欠かせない常田さんですが、大橋さんが抱いた第一印象はとても悪かったようです。

大橋さんはライブで常田さんに会ったのですが、どうやらピアノの腕はあまりよくなかったのか、下手なピアノでどうしてお金を取れるのかと思われていたようです。

大橋さんもピアニストを目指した時期がありましたから、見る目が厳しかったんでしょうか。なかなか辛辣です。

当時ヨツヤタカヒロらと結成していた4人組バンド"Dear Friends"も、音楽活動より麻雀に熱中してしまったため自然消滅した。以後は1人で路上ライブを中心に活動する。

出典: https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E6%A9%8B%E5%8D%93%E5%BC%A5

カラオケに行った時、歌のうまさを褒められたことがきっかけでミュージシャンを目指し始めた大橋さんは、4人でバンドを組んでいた時期もあります。

常田さんを紹介してくれた先輩らと結成していましたが、こちらは自然消滅し、結局は1人で路上ライブを行っていたそうです。

しかし、活動を続けるうちに自主制作CDを作りたくなり、アレンジとレコーディングを常田さんにお願いしたことがきっかけで、2人で組むことになったようです。

常田真太郎

スキマスイッチのピアノと言えば常田真太郎さんですよね。今でこそスキマスイッチに欠かせない存在ですが、意外にも音楽を始めたのはモテたいから、という理由だったようです。

ピアニストを目指していた大橋さんとはだいぶ違いますね(笑)

そして、自身が出演していたライブに大橋さんがやってきて、2人は運命的な出会いを果たします。

常田さんの第一印象は非常に悪かった大橋さんですが、大橋さんの第一印象も悪かったようですね。

サングラスをかけたまま軽い感じで挨拶に来た大橋さんに対し、怖い人という印象を持っていたようです。

デビューへの道のり

常田さんはバンドのかけもちをし、他アーティストの楽曲アレンジなどを手がけていたそうです。インディーズレーベルの「空間レコード」の経営もしていたそうですよ。

大橋さんは当時1人で音楽活動をしていたため、常田さんは一緒に音楽をやらないかと誘いますが、なんと断られてしまったそう。

大橋さんの項目でもご紹介した通り、当時は大橋さんよりもピアノが下手だったからようですから、まあ、そうなるでしょうね(笑)

嘘ついちゃった(笑)

2人が組むことになったきっかけは、大橋さんから楽曲のアレンジやレコーディングを頼まれたことですが、組むことになった理由がひどいです(笑)

大橋さんの曲を売り込みに行ったところ高評価で、組んでいるのかと質問された時に、そうだと言ってしまったんですね。

違うのに…断られてるのに。そして、引くに引けなくなったため、大橋さんを説得して2人で組むことになったそうです。

嘘からデビューにつながるなんて、ある意味すごいですね(笑)デビューできてよかったです。