Someday いつか ふたりが
全部 奇跡だって気づいて
それでも 運命とまだ呼ぶなら
物語は もっと素敵に 色づいて
出典: Someday/作詞:藤原さくら 作曲:藤原さくら
『ふたり』が出会ったことも、一緒になったことも、子どもが生まれたことも、実はほんのわずかな可能性の中から巡り会った『奇跡』でした。
いつかの未来、そのことに気づくだろう『ふたり』がそんな『奇跡』の重なりを『運命』と呼ぶのなら、『ふたり』の『物語』はこれまで以上に輝くのかも知れません。
歳を重ねた『ふたり』の未来が、いまよりも更に色鮮やかに彩られる可能性、希望を歌います。
Someday いつか ふたりは
ふたりより大切な子の笑顔で
運命だって教えてもらえるの
決まってたんだって
そんな未来
出典: Someday/作詞:藤原さくら 作曲:藤原さくら
子どもの笑う顔を見て、幸せを感じる『ふたり』はきっと、こんな未来が来ることは最初から決まっていたのだと確信するのでしょう。
たくさんの『奇跡』が折り重なって到来した未来は、きっと『運命』に導かれてやってきたものだと思うのでしょう。
幸福に満ちた未来を信じるあたたかなフレーズです。
Someday いつか ふたりが
もっと長い時を過ごして
それでも 運命がまた廻って
物語は 続いていくの
そう信じてるの
出典: Someday/作詞:藤原さくら 作曲:藤原さくら
『ふたり』がたくさんの時間を共に過ごす中で、『運命』は二転三転し、たとえばつらいことや苦しいことがあるかもしれません。
大きな変化はつらいことだけでなく幸せなことも連れてくるはずです。
『ふたり』で一緒に困難を乗り越えて、幸福を噛みしめて、そうして一緒に『物語』を歩んでいくのです。
分かたれることなく、『ふたり』の『物語』は続いていくのだと、一途に信じていると結んでいます。
一緒に生きていくということ
冒頭のフレーズの4つの動詞
これまで「Someday」の歌詞をひととおり見てきましたが、冒頭のフレーズにある4つの動詞を改めて見てみます。
歩く 見つける
廻る 広がる
出典: Someday/作詞:藤原さくら 作曲:藤原さくら
最初に、『ふたり』は共に歩きだした先で何を見つけ、何が廻り、何が広がると言うのか、という疑問を呈しましたが、それをここで改めて考えてみます。
『ふたり』が共に歩き同じ時間を過ごす中で『運命』が廻り、つまりは転機を迎えながら、『物語』は続き広がっていきます。
『ふたり』がいつか出会う、子どもやその子が関わる人たちへと広がりを見せることになるのでしょう。
ここで語られているのは『ふたり』の物語ですが、『ふたり』以外の物語も少しずつ重なり関わり合っているということは考えられないことではありません。
『ふたり』の家族や友人の『物語』に何らかの影響が広がるということは不自然ではないはずです。
それでは『ふたり』が一緒に歩きだし、『運命』が『廻る』前に『見つける』ものは何でしょうか。
共に暮らすための住まいでしょうか。この先もずっと共に生きていくのはお互いであることの確証かもしれません。
歩きだしたときはもしかしたらかけがえのない友人で、その道中で自分の中の友愛とは異なる愛情を見つけた、という可能性も考えられます。
いずれにしても『ふたり』が共に生きていくためのキッカケであることに違いはありません。
いつかの未来
いつか訪れる未来が幸せなだけ、なんていうことは、もちろんないでしょうが
「結婚や新たな命の芽生え、さらなる出会いなどかけがえのない経験がこれからの人生に待ち受けているはず」歌われているのはそんな未来です。
これまでに起きたこと、これから起きるだろうことはきっとわずかな可能性の中から偶然に、もしくは必然に選ばれた出来事です。
その奇跡ともいえる確率の中から自分自身に起きた事柄を良いことも悪いことも運命として受け入れることができる、そんな穏やかな自分のいる未来はきっと今より鮮やかに輝いていることでしょう。
初めにも書きましたが、この歌は、藤原さくら自身の祖父母の話を聞いて感じたことを基に書き出されたものだそうです。
語る祖父の、あるいは祖母の姿を見て、彼女は「祖父母の目に映る世界は自分が見ているものよりも素敵に映っている」と感じたのではないかと思うほどには、
「期待」や「希望」と表現するだけでは足りない「確信」があるようにも感じられます。
いつか、大切なひとと幸せを噛みしめている、そんな未来が訪れますように。
「Someday」はそういうあたたかな想いに満ちた歌でした。
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