切なく辛い「悲しい色やね」の背景は?
関西弁はありません
上田 正樹は京都市で生まれ、その後兵庫県姫路市から岐阜県高山市へと移り、岐阜県立岐阜高等学校に入学するが、在学中から音楽に夢中になる。その後神戸市に移り、兵庫県立福崎高等学校卒業。
出典: https://ja.wikipedia.org/wiki/上田正樹
「悲しい色やね」を歌っている上田正樹さんは関西地方とのつながりはありますが、当初大阪とは縁がありませんでした。
でも兵庫県も関西系の方言の宝庫です。
関西ネイティブのイントネーションで「悲しい色やね」の切なさに魂を込めたのですね。
歌に隠された背景はまだ続きます。
「悲しい色やね」は1982年10月21日にリリースされた上田正樹のシングル。作詞は康珍化、作曲は林哲司。歌詞の「大阪の海」は元々「尼崎の海」だったとする噂が根強くある。康自身、尼崎南部の海岸から見た大阪のイメージから作詞したと発言している。
出典: https://ja.wikipedia.org/wiki/悲しい色やね
歌詞に「大阪」が出てくるのですっかり大阪のご当地ソングのカテゴリーに入れていました。
実は大阪と隣接した兵庫県尼崎から見ていた風景だったのですね。
上田正樹さんのハスキーボイスは隠された背景をクールにまとめて「悲しい色やね」に仕立てました。
ノンアルコールドリンクを渡されたのに、錯覚で酔わされてしまう威力と魅力を持つ声。
辛く切ない恋に惑わされつつ、歌詞の解説を始めていきます。
湿った空気…それとも涙
心は晴れないままに
にじむ街の灯を ふたり見ていた
桟橋に止めた 車にもたれて
出典: 悲しい色やね/作詞:康珍化 作曲:林哲司
歌はじっとりとした空気を描写しています。夜とはいえ見通しはよくありません。
ハッキリとした風景に見えないのは雨が近いから?それともすでに泣いているから?
ふたり一緒にいるのだから約束をしてここまで来たはずです。
海でも見に行こうか?と誘われたときはうれしさもあったけれど、笑えない自分がいます。
本当は分かっていました。ここに来たって心が弾むような気持になることは絶対に無いことを。
この海に来たのは今日が初めてではありません。
ふたりのお気に入りの場所であることも知っています。
大切にしている場所に来たからって、ふたりの未来が見えるような会話は期待しません。
ふたりの間にあるのは、いつか来る終わりを避ける言葉だけです。
でもそんなごまかしにも疲れてきました。前を向くなんて言葉はムダなだけ。
今の苦しさから逃れるために、泣くことも許されないのでしょうか…。
涙は見たくないと言われても…
泣いたらあかん 泣いたら せつなくなるだけ
出典: 悲しい色やね/作詞:康珍化 作曲:林哲司
辛いときや悲しいときは思い切り泣いて涙を流せば心もスッキリします。
でもそれは「独りで泣く」という条件つきなのでしょうか?
自分のことが原因で泣いている人を見るのは辛いこと。
そこで自分が一緒に泣けば辛さや悲しみは2倍に増えてしまいます。
泣きたいけれどここで泣いても何も解決しないことを2人は分かっているのです。
泣くなよ!という命令とは違う『あかん』で涙を止めようとしました。
しっとりとした空気の中で言葉が届く速度も普段より遅めです。
強く泣くことを止められない優しさは虚しいだけ。それよりも思い切り泣かせてくれれば忘れられるのに。
涙でにじんだ海の向こうの街の明かりが少しづつ消えていきます。
心も抱きしめて…
思い切り泣けないのならせめて強く抱きしめて欲しい…。
高まる感情を抑えるサビは「悲しい色やね」の中核となる部分です。
望むことはただそれだけだったのに、耳に届いたのは余計に辛くなる問いかけでした。
いつものトーンで心の中をえぐるような質問をぶつけてきた相手が、次第に遠くなっていきます。