東京事変というバンド
結成
いわゆる「バンドをやるためにメンバーを集める」というよりも「すでに集まっていたグループに名前を付けて活動を始めた」というのが正しいでしょう。
ヴォーカルを務めた椎名林檎は、東京事変結成までソロで活動を行っていました。
ですが、ソロでの活動に行き詰ってモチベーションが尽きかけた時があったんだそう。
そんな時に思い付いたのが、ソロではなくバンドとしてならやれるのではないか…という可能性でした。
変遷
そうして、2004年9月8日にシングル「群青日和」をリリースしてメジャーデビュー。
YouTube上ではこの曲のMVが公開されていますが、2018年4月10日時点で1900万再生を越え、そろそろ2000万再生を数えるほど。
ファンの間にも鮮烈なイメージを残した、衝撃的なデビューでした。
当時、東京事変は5人編成でしたが、2005年にはH是都M(key)と晝海幹音(gt)が脱退。
その穴を埋める形で伊澤一葉(key)と浮雲(gt)が加入し、第二期東京事変の体制となりました。
椎名林檎- ボーカル、ギター、ピアノ、ドラムス
亀田誠治- ベース
浮雲- ギター、ボーカル、マンドリン、コーラス、ラップ
刄田綴色- ドラムス、パーカッション
伊澤一葉- 鍵盤楽器(キーボード・ピアノ)、ギター、ボーカル、コーラス
出典: https://ja.wikipedia.org/wiki/東京事変
この体制で、2020年に再結成してなお現在まで活動を続けています。
一度解散した後も、それぞれ自分のユニットやソロ活動、あるいはバックミュージシャンとして。
5人全員が各々研鑽を積み続け、常に音楽業界の第一線を支えてきたミュージシャンばかりです。
そう考えると、この東京事変というバンドはまさにプロ集団と呼ぶに相応しいユニットなのでしょうね。
終幕
それぞれが第一線で活躍する力量と個性の持ち主。
他のバンドには決して真似できない、東京事変だけの道を歩み続けました。
多くのファンを魅了し続けた東京事変でしたが、2012年2月をもって解散を発表。
2011年初頭にはメンバー内で解散に合意が得られていたということでしたが、解散の発表は解散の前月、2012年の1月でした。
「来る閏日に解散します」との宣言通り、2012年2月29日に行われた日本武道館公演をもって、東京事変は惜しまれつつも解散。
そのラストライブ、セカンドアンコールに応えて披露した楽曲が「透明人間」でした。
解散前、最後の演奏。「さらばだ!」というメッセージを、彼らはこの楽曲に託しました。
「透明人間」がライオン製品(NONIO)CMタイアップソングに!
と、ここで気になる情報が。
「この曲のインスピレーションのもとになった僕の息子は19歳になりました!」という一文。
もちろん曲の解釈なんて個人の自由ですから、人それぞれ、好きなように解釈すればいいと思っています。
特にこの「透明人間」は歌詞が内省的。
叙事的な部分がとことん切り詰められているため、解釈の幅がものすごく広いタイプの楽曲です。
ですが、やはり「この曲がどこからきたのか」というルーツは気になりますよね。
12年前、当時7歳だった息子さんから、どのようにして「透明人間」が生まれたのか?
ここからは楽曲の歌詞の内容を紐解いていきながら、その曲の成り立ちについて考えてみたいと思います。