中森明菜

【少女A/中森明菜】少女Aは○○だった!?自身最初のヒット曲となった歌詞の意味を徹底解釈!の画像

1982年、中森明菜16歳。

日テレの伝説的オーディション番組「スター誕生!」に合格した彼女は、「スローモーション」をリリースし、デビューを決めました。

ちなみにこの楽曲を製作した来生えつこ・来生たかお姉弟とは、この後も多くの楽曲でコンビを組むことになります。

一覧にまとめてみました。

  • スローモーション(1982)
  • あなたのポートレート(1982)
  • 咲きほこる花に…(1982)
  • セカンド・ラブ(1982)
  • トワイライト -夕暮れ便り-(1983)
  • さよならね(1983)
  • ストライプ(1984)
  • 夏はざま(1984)
  • まぶしい二人で(1984)
  • 白い迷い(ラビリンス)(1984)
  • 地平線(ホライゾン)(1984)

このふたりはこのほかにも、斉藤由貴や山口百恵松田聖子など同時代のアイドルたちや、五木ひろしなどの大御所の歌手など、提供先は400を超えるとも言われている超大物クリエイターです。

不良少女の可憐

【少女A/中森明菜】少女Aは○○だった!?自身最初のヒット曲となった歌詞の意味を徹底解釈!の画像

この当時、純真で清楚なアイドルは飽和状態だったこともあり、中森は16歳ながら「憂いのある不良少女」として売り出されます。

彼女の大人びた眼差しや高い歌唱力はそれを叶え、これ以降も色っぽい楽曲を次々と歌いこなしました。

この時代のアイドルってただ可愛く純真無垢なだけではなく、この手の恋愛経験も豊富で成熟した女性像も多くありましたね。百恵ちゃんとかもね。

【少女A/中森明菜】少女Aは○○だった!?自身最初のヒット曲となった歌詞の意味を徹底解釈!の画像

少女A

【少女A/中森明菜】少女Aは○○だった!?自身最初のヒット曲となった歌詞の意味を徹底解釈!の画像

1982年10月リリースのスタジオ・アルバム「バリエーション〈変奏曲〉」の先行シングルとしてリリースされたこの楽曲。

「反社会」をコンセプトとしたこの楽曲で、一気にブレイクした中森。

一躍トップアイドルとなります。

【少女A/中森明菜】少女Aは○○だった!?自身最初のヒット曲となった歌詞の意味を徹底解釈!の画像

タイトル

この当時、少年犯罪が社会を騒がせることが増えてきていました。

しかし当時の少年法では実名報道を避けていたため、「少年A」などイニシャルを使って報道されることが多くあったのです。

(少年法は改正され刑罰の重くなった現在でも、19歳以下の加害者は原則匿名で報道されますよね。)

そんな匿名性をモチーフとした楽曲だったために、このタイトルとなったのです。

元々は当時のスターのひとり、沢田研二のために作られた楽曲だったそう。

AKINAのAじゃないのよ。

【少女A/中森明菜】少女Aは○○だった!?自身最初のヒット曲となった歌詞の意味を徹底解釈!の画像

カバー

これまで国内外の多くのアーティストにカバーされてきたこの楽曲。

中国など、アジアのファンにも広く浸透しているようです。

主なものを一覧にまとめました。

ザ・ベストテン

【少女A/中森明菜】少女Aは○○だった!?自身最初のヒット曲となった歌詞の意味を徹底解釈!の画像

この曲で大人気歌番組「ザ・ベストテン」に初登場した彼女。

中森の歌い方の特徴のひとつ、マイクをぐっと持ち直す仕草ですが、これは当時のコード付きマイクで「歌いやすいようにやっただけ」とのこと。

カラオケでこれ真似するだけでちょっと明菜ちゃんっぽくなってウケますよね、真似してみてね。

やや斜めに立つシングスタイルも、独特。

椎名林檎さんとかの元ネタは明菜ちゃんかも。

歌詞