アーティストなら、自分を知ってくれる人にもっと自分の音楽を聴いてほしいものです。
「三分間」というのは1曲のことでしょうか。
彼女にとっては、それだけだとあまりにも短すぎるようです。
たった1曲だけ聞いてもらうのでは、自分の気持ちは伝えきれません。
自分の気持ちや言葉を聞いてほしいから、道を走る自分についてきて欲しい。
もっとリアルな言い方をすると、自分の歌を聴いてほしいという意味のように思えます。
ただし、だからって「ファンになって!」というのともちょっと違う気がするのです。
ただただ、ひたすらに「自分の想いを込めた歌を聞いてほしい」という願いなのではないでしょうか。
キミの記憶に僕がいますように
苦しいことや辛いことが沢山ありながらも、歌い続けた日々。
何とかここまでやってこられました。
ゴールにたどり着いたわけではありませんが、まだまだ頑張ろうと決意を新たにします。
その先に何を見据えているのでしょうか。
一歩を踏み出させるのは自分自身
長くうねって続いた坂の上で遠くを見てる、新しい希望を見てる
今も僕は僕の背中を押す
始まった理由も まだやりとげてないから
出典: Believe in ourselves/作詞:LiSA・田淵智也 作曲:田淵智也
ここまでの道のりは紆余曲折あって、決して平坦なものでもありません。
しかし、それを越えた先にずっと目指しているものがあります。
そこがゴール…ではないかもしれませんが、道の先に希望があるのは確かなようです。
そこに向かって進むということは、同時に新たなる試練の始まりでもあります。
そう考えるとちょっと足がすくんでしまいそうですが、押し出してくれるのは自分以外にいません。
歩き出すのも、夢を叶えるのも自分自身なのです。
苦労してもハッピーエンドを信じて
目の前の道をひたすら走って
どうか最後には幸せなフィナーレを
出典: Believe in ourselves/作詞:LiSA・田淵智也 作曲:田淵智也
どんなに辛くても大変でも、道の向こうに向かって走り続けるほかありません。
歌い続けると決めた以上、立ち止まるという選択肢はないのでしょう。
そしてたどり着いたその先には、輝かしい結末が待っている筈です。
愛するもので手にした成功は、歴史に名を刻むこと以上に大切で嬉しいものなのかもしれません。
人々の記憶に残り語り継がれることは、それだけ偉大なことなのですから。
僕を知ってくれたキミに
キミの記憶の中 ほら ほら確かに
僕の姿 刻まれてる、すぐ近くでわかる今が嬉しいから
いつか寂しかった暗い闇の中で
見つけ出してくれたキミの笑い声が 続きますように 続きますように
出典: Believe in ourselves/作詞:LiSA・田淵智也 作曲:田淵智也
自分の歌を聞いてくれた人の記憶の中には、自分がいる筈です。
歌を聞いているということは、たとえそのアーティストのことを知らなくてもその歌声は知っている。
考えてみれば当然のことなのですが、そのことが凄く嬉しいのでしょう。
ですからこの歌詞でいう「姿」とは、目に見える顔や体ではなく声という気もします。
そして「他人の記憶の中に自分がいる」ことを、今は実感できるようです。
テレビのCMで流れていることもあるでしょう。
アニソンだと、そのアニメの映像と共にLiSAさんの歌が流れていることもあります。
そうなっている今は確かに幸せであり、ありがたいことかもしれません。
3行目の状況は、まだ駆け出しで売れなかった頃のことだと思われます。
それでも今があるのは、自分を見つけて聴いてくれる人が増えたから。
「この人の曲、良いね」って言ってくれる人が続いてくれることを願っているのです。
今いる場所から
「キミ」という存在がいるから、今自分は頑張っていけていることを実感しています。
これからも自分を記憶してくれている人のために歌うのでしょう。
そうすることが、今目指している場所へ進む方法なのです。
ということは…、やはりそれは歌を世に送り出していくということを意味しているのではないでしょうか。