交換留学生という形でAKB48へ
生駒里奈はかつて、交換留学生としてAKB48チームBを兼任していました。
突然、しかもグループの中心人物である生駒里奈が兼任…ファンの間で衝撃が走りました。
当然のことですが乃木坂46メンバー各自も、かなり動揺していたようです。
裏切りのように感じてしまうメンバーもいたようです。
グループ結成初期から共に活動していたのですから、そう感じてしまうのも仕方ないかもしれません。
あくまで乃木坂46のために
生駒里奈がAKB48との兼任を決意した理由。
興味本位だとか、AKB48にも加入してみたかったとか、そういうものではありません。
「乃木坂46が更に成長するため」というただそれだけの理由でした。
「AKB48で学んで、乃木坂46をもっと良いグループにする」といった旨のコメントをしています。
生駒里奈が兼任を選んだのは、あくまで「乃木坂46」のためだったのです。
結果的に生駒里奈自身、兼任を通じて大きな成長を遂げています。
そして、その成長を乃木坂46へ還元し、より大きなグループへとのし上げる貢献をしました。
相当大変だったはずですが、今の乃木坂46があるのは生駒里奈が当時努力した甲斐あってといえるかも。
生駒里奈は本当に、心から乃木坂46というグループのことを考えて行動していたのです。
バラエティ番組での活躍
生駒里奈の番組出演に対する姿勢
生駒里奈は乃木坂46のメンバーとして、多くのバラエティ番組に出演しました。
毎回爪痕を残し、乃木坂46の知名度を上げたり、興味を持たせることに成功。
バラエティでも活躍していました。
番組に出演する際に、彼女が心がけていたことがあるようです。
それは「自分が出た番組に他のメンバーが出演しやすくなるように」という点。
生駒里奈がどこまでも真っ直ぐに「乃木坂46」のことを考えていることが伝わってきます。
様々なバラエティ番組へ出演する乃木坂46があるのは、彼女の努力も貢献しているのかもしれません。
選抜回数とポジションに注目!
選抜落ちはゼロ
記事の冒頭でも、生駒里奈のセンター経験について少しだけ触れました。
ここからは、選抜回数などにも注目してもっと詳しく紹介します。
まず注目すべきは、生駒里奈の選抜回数。
彼女が活動していた期間は1stシングルから20thシングル。
その間、選抜落ちしたことは1度もありません。
全てのシングルで選抜入りを果たしています。
活動期間中に選抜落ちしたことないメンバーは、本当に極僅かしかいません。
それだけ、生駒里奈というメンバーが高い評価を得ていたことが分かります。
実際、乃木坂46の「顔」として活躍していたことも大きな要因かもしれませんね。
そして生駒里奈は、元々高いダンススキルを評価されて「ダンス七福神」にも選ばれていました。
グループのパフォーマンスに欠かせないメンバーだったこともポイントですね。
福神とセンター経験
乃木坂46には「福神」なるものがあります。
これはシングル活動で特にフォーカスを当てられる、「選抜中の選抜」のようなシステムです。
生駒里奈は選抜20回中、14回福神入りを果たしています。
また、その内の6回はセンターポジション。
生駒里奈は、記事冒頭で触れた通り5枚目のシングルまで連続でセンターを務めました。
6枚目で白石麻衣とセンターを交代し、再びセンターへ返り咲いたのは12枚目。
初めてセンターを交代した際はかなり激しい動揺を見せていました。
プレッシャーと同時に、非常に強い覚悟を持って活動していたことがわかります。
本気で取り組むその姿は、ファンの胸を打ったことでしょう。
センター交代後の6〜12枚目の間は常に福神入りしていましたが、13枚目以降は3列目での活動が中心に。
福神からも外れるようなりましたが、彼女は腐ったりしません。
「縁の下の力持ち」としてグループを支え続けました。
メンバーに対する気遣いも深かったようです。
7枚目シングルで2期生初選抜・初センターとなった堀未央奈へ一番に声をかけたのも有名。
卒業シングルでは…
生駒里奈の卒業シングルに当たるのは20枚目の「シンクロニシティ」でした。
卒業シングルとなると卒業メンバーがセンターを務めることが多い乃木坂46。
しかし、20枚目のシングルで生駒里奈は福神入りはしたものの、センターではありません。
乃木坂46結成当初からグループを引っ張ってきた彼女の卒業シングル。
普通に考えればセンターだと思われて当然ですが、きちんとした理由があります。
というのも、生駒里奈はセンター打診を「断った」そうです。
理由は「曲を私(生駒)の卒業シングルにしたくなかった」からだそう。
どこまでもグループの活動のことを第一に考え行動する彼女らしいエピソードですね。