シングル盤は1960年に発売
発売前から『愛の讃歌』は彼女の持ち歌だった
今回紹介する『愛の讃歌』は越路吹雪さんの代表曲です。
この曲は広く世間に知られており、長年愛され続けている曲でもありますね。
オリジナルはフランスのシャンソン歌手、エディット・ピアフが1949年に発表したものです。
越路吹雪さんの『愛の讃歌』が発売されたのは1960年。
しかし、その前から『愛の讃歌』は越路吹雪さんの持ち歌でした。
越路さんバージョンの歌詞は日本語。
その日本語歌詞を作ったのは、越路吹雪さんのマネージャーを務めた岩谷時子さん。
今回は越路吹雪さんが歌う『愛の讃歌』の歌詞を徹底解説します。
また、オリジナルバージョンを筆者が翻訳し、岩谷さんがつけた歌詞とどう違うのか比較します。
まずはじめに『愛の讃歌』というタイトルの意味を考えてみましょう。
世界中の人間が持つ「愛」の究極形
「愛」のアンセム(応援歌)
『愛の讃歌』を作詞し歌ったエディット・ピアフはフランス人。
このタイトルはフランス語で「Hymne à l'amour(イム・ア・ラムー)」。
最初の「Hymne」は日本語訳すると「讃美歌」もしくは「国家」。
「l'amour」を日本語訳すると「愛」。
すべてを日本語訳すると「愛の讃美歌」や「愛についての代表曲」などとなります。
やはり『愛の讃歌』がタイトルとしては一番適していますね。
『愛の讃歌』はエディット・ピアフの体験がもとになった曲
あるプロボクサーとの恋
つぎにエディット・ピアフが『愛の讃歌』を作った経緯を見てみましょう。
この曲は彼女自身の体験がもとになって作られました。
本作の歌詞はピアフの恋の相手であったプロボクサー、マルセル・セルダンが飛行機事故で亡くなったのを悼んで作られたと言われてきたが、セルダンの生前に書かれたものであることが判明している。相思相愛で誰もが知る仲ではあったが、妻子を持つセルダンとの恋愛に終止符を打つために書いたものだと考えられている。
出典: https://ja.wikipedia.org/wiki/愛の讃歌
エディットピアフはプロボクサーのマルセル・セルダンと恋していました。
しかし、その恋は禁断の恋だったのです。
上に引用した通り、マルセルは家庭を持っていました。
それを承知の上で彼女は彼と恋愛していたのです。
『愛の讃歌』は、マルセルとの関係を終了するために彼女が作った曲。
いわば「恋人への別れのラブレター」といったところでしょう。
ちなみにマルセルは1949年飛行機事故に遭い、帰らぬ人となっています。
しかしこの曲はマルセルが亡くなる前に作った曲なので、彼の事故とは関係ないですね。
『愛の讃歌』を聴いてみよう
オリジナルバージョンと越路さんバージョンを聴き比べる
ここからは『愛の讃歌』を聴いてみましょう。
今回はエディット・ピアフが歌うオリジナルバージョンと、越路さんが歌う日本語バージョンを聴いてみます。
まずはオリジナルバージョンからどうぞ。